日本100名城の城址スタンプ廻り、観光さんぽ実体験レポートまとめになります。
北海道・東北地方
福島県
二本松城
二本松城は梯郭式平山城で霞ヶ城や白旗城といった別名があります。
1414年に畠山満泰がこの地に居を構えたことが二本松城の始まりだったと言われています。そして1586年に伊達政宗により畠山氏が滅ぼされました。その後二本松城は豊臣秀吉の奥州仕置後に会津領に組み込まれることとなり蒲生・上杉の支城として城代が置かれました。そして1643年に二本松城は二本松藩の丹羽光重の居城となりました。その後二本松城は戊辰戦争で落城することとなりました。
そんな二本松城は天守台、亀甲積み崩しの石垣、二階櫓、箕輪門などが見どころとなっています。また二本松少年隊も有名で二本松少年隊の群像もあります。二本松少年隊は16歳から17歳で編成された会津藩の白虎隊とは違って13歳から17歳で編成された隊でした。
そして二本松城は現在、霞ヶ城公園として整備され地元の人が足を運ぶ憩いの場所となっています。
鶴ヶ城
鶴ヶ城(つるがじょう)は福島県会津若松市にある日本100名城に指定されている城です。
600年以上もの歴史を持っていて戊辰戦争の舞台ともなりました。また現在は天守閣が残る会津若松市のシンボルでもある城となっています。
白河小峰城
白河小峰城(しらかわこみねじょう)は福島県白河市にある日本100名城に指定されている城です。
小峰城は14世紀中頃に結城親朝(ゆうきちかとも)が小峰ヶ岡に城を構えたのが始まりだと言われています。その後初代白河藩主の丹羽長重によって大改修され近世城郭になりました。また白河小峰城は奥州関門の名城とも謳われていたようです。
関東・甲信越地方
栃木県
足利氏館
足利氏館は栃木県足利市にある足利氏の邸宅跡で、現在は鑁阿寺というお寺になります。
足利氏館の作りは城郭のようになっていて敷地内には四方に門があり、境内の周りには土塁と堀があります。そして寺域はほぼ正方形で約40,000平方メートルあります。
足利氏の邸宅は足利氏の祖である源義康が居館したことから始まり、鑁阿寺は足利義氏の時代に足利一門の氏寺となりました。そして足利氏館は鎌倉時代の面影が残された武士の館になります。
群馬県
箕輪城
1500年前後に長野氏が築城し、4代にわたって長野氏が本拠としました。その後次々と城主が変わり、最後は徳川氏の家臣の井伊直政が城主となりました。
戦国時代の平山城で東西約500メートル、南北約1,100メートルの広大な大堀切です。また門跡、石垣、石組の排水溝、土塁、堀、掘立柱建物が発見されています。そして堀と虎口周囲が良い状態で残っていて、現状は在城当時の光景が確認できます。
そんな箕輪城は城の設計が梯郭式で城域の形が箕(みの)に似ていることから箕輪城と名付けられたようです。
金山城
金山城は1469年、新田岩松氏によって築城された山城になります。金山城は天守閣以前の作りの城で、麓に居館を構え戦時中は山頂で守りを固めていました。また石垣や石敷きが多用されていて、関東の山城に本格的な石垣はないとされていた定説を覆す造りになっています。
現在本丸跡には新田神社が建っており、山麓には史跡金山城跡ガイダンス施設があります。また西方には日ノ池や月ノ池があり、西南には二の丸跡や三の丸跡があります。
そんな金山城は上杉謙信の攻撃を退けるなどの功績から関東七名城の一つとされ、強固な守りで何人も城主を守ってきた難攻不落の城だったと言われています。
埼玉県
鉢形城
鉢形城は埼玉県大里郡寄居町大字鉢形にある城跡で連郭式平山城です。現在は城跡となっていて、公園も作られ鉢形城公園となってます。
そんな鉢形城は1476年山内上杉氏の家宰長尾景春によって築城されたと言われていて、その後北条氏邦によって整備拡充しました。地理的に上州や信州方面を望む重要な場所で、北条氏の北関東支配の拠点ともなりました。
そして鉢形城は荒川と深沢川に挟まれ天然の要害として強固な守りを誇り、1569年の武田信玄の攻撃や1574年の上杉謙信の攻撃でも落城せず守り切りました。
しかしその後鉢形城は1590年の豊臣秀吉小田原攻めの際に前田利家・上杉景勝・島田利正・真田昌幸・徳川家康などそうそうたる顔ぶれに35000の兵で城を包囲されてしまいます。そして城主であった北条氏邦は鉢形城で3000の兵で1カ月の籠城して粘りの守りを見せましたが、最後は城兵の助命を条件に開城しました。そして鉢形城は廃城となりました。
川越城
川越城は埼玉県川越市にある城跡で、1457年に上杉持朝によって築城されました。関東七名城の一つで初雁城や霧隠城と呼ばれることもあります。
造りは平山城で、天守はなかったため富士見櫓を天守代わりにしていたといわれています。また松平信綱が城主の時代に本丸、二の丸、三の丸等の拡張整備をしました。更に川越藩は松平信綱を含めた7名の老中を出したこともあり老中の居城でもありました。
そんな川越城は江戸にとって重要な城でしたが、明治時代に川越藩が廃藩になると川越城も解体されました。そのため現在は城の大半は失われていますが、跡地には市の建物や学校など様々な施設が建設されています。
千葉県
佐倉城
佐倉城は千葉県佐倉市にある城跡です。1532年から1552年に千葉親胤の命を受けた鹿島幹胤によって築城が着工されましたが、建築中に親胤が暗殺されたためその際に建築が中断されました。その後1610年に徳川家康の命を受けた土井利勝によって佐倉城は完成しました。
造りは平山城で、鹿島山に築かれていて西と南に鹿島川と高崎川が流れています。城郭は石垣ではなく印旛沼を外堀の一部にして三重櫓が天守として使われていました。また佐倉城は幕府の要職に就いていた城主が多く、その中には日本を開国へ導いた堀田正睦もいました。
そんな佐倉城は明治維新後の廃城令によって櫓や門などほとんどの建物が取り壊されました。しかし現在は城跡の復元も進み、本丸跡跡・出丸跡・三逕亭や角馬出などが良好な状態が残されています。
東京都
江戸城
江戸城は東京都千代田区にある城跡です。1457年に太田道灌が築城し、後に徳川氏によって改修されて日本最大面積の城郭になりました。
造りは平山城で麹町台地の東端にあります。天守は三度築かれていますが最後は明暦の大火で焼失して以降は再建されることがありませんでした。また江戸城は江戸時代に徳川幕府の居城だったため様々な大物がこの城に住んでおり、更に幕府の政庁ともなっていました。
そんな江戸城は現在では本丸・二ノ丸・三ノ丸の跡が皇居東御苑として開放されています。そして南東側の皇居外苑と北側の北の丸公園は常時開放されいて多くの人が訪れるスポットとなっています。
八王子城
八王子城は東京都八王子市にある城跡です。1587年に北条氏照によって築城された城で、小田原城の支城でもありました。
造りは山城で標高460mの場所に位置しています。更に八王子城は北浅川や南浅川、山や谷にも囲まれたとても広い敷地面積を持つ城でした。
しかしそんな巨大な城も6月23日、秀吉軍の前田、上杉勢1万5000の兵によってわずか1日で落城してしまいました。そして八王子城の落城で北条氏の小田原立て籠りにも終始が打たれました。
そんな八王子城は現在御主殿跡などが復元され、当時の石垣を使った虎口や曲輪など見どころも多いです。また山頂はとても見晴らしがよく天気がいい日には相模湾まで見通すことができます。
神奈川県
小田原城
神奈川県小田原市にあるお城で難攻不落の城と言われてます。
15世紀の中頃に大森氏によって築城されたと考えられ、その後北条氏が攻略し本拠地としました。そして北条氏は5代100年もの間小田原城を拠点としていましたが、その間防御を固めるため城下は全長9キロに及ぶほどになりました。こうして強固な守りを誇った小田原城ですが、豊臣秀吉に討伐され北条氏は滅亡してしまいます。そして徳川家康に従っていた松平氏の家臣大久保氏が城主となります。その後時は経ち明治に入ると1870年に廃城となりました。
そして廃城の際に城内は解体されましたが、その後1960年より復興が進み天守閣・常盤木門・銅門・馬出門などが再建されました。
山梨県
武田氏館
武田氏館は山梨県甲府市にある武田氏の居館で、1519年に武田信虎が石和から甲府に居館を移転しました。そして武田氏館は信虎、信玄、勝頼と三代に渡って武田氏の本拠地としていましたが、武田氏没後は織田家や徳川家の支配下になります。その後徳川家が武田氏館の近くに甲府城が築城すると、甲府の中心は武田氏館から甲府城に移っていきました。
そんな武田氏館の造りは連郭式平城で四方を水掘りと土塁で防御を固め、背後の山上に詰城を築いて籠城に備えていました。そして中曲輪、東曲輪、西曲輪から構成されています。また武田氏館は別名「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」とも呼ばれています。名前の由来は近くに躑躅ヶ崎という尾根がありそこからきているようです。
そして武田氏館は現在は武田信玄を祭神とした武田神社となっており、多くの人が参拝に訪れる神社となっています。また武田神社には復元された虎口や西曲輪などの他に宝物館やガイダンス施設などもあります。更に季節ごとに祭が行われ、その際は通常より多くの参拝客が訪れて賑わいます。
甲府城
甲府城は武田氏滅亡後、豊臣政権で武田氏館に代わる要所として築城された平山城で、徳川氏を抑える城として機能していました。その後徳川氏が天下統一をすると甲府城は江戸幕府の支配下に置かれ、将軍家の親藩が城主になる重要拠点となりました。
しかし徳川綱豊の後は将軍家親藩以外の柳沢吉保が城主になります。そして柳沢吉保が城主となった際、吉保は城を大幅に整備し、城下町も発展させました。しかし甲府城は享保で起こった大火で大きな被害を受けてしまいます。更にその後明治時代になると廃城となり、城内の建物は取り壊されてしまいました。
そんな甲府城は本丸櫓跡、天守台、鍛冶曲輪門などの建造物が遺構・復元されています。また城跡は舞鶴公園として開放され、武田氏館と合わせて甲府の観光スポットとなっています。
中国・四国地方
徳島県
徳島城
徳島城(とくしまじょう)は徳島県徳島市にある日本100名城に指定されている城です。
細川頼之が築城しましたが、豊臣秀吉が四国を平定した後は蜂須賀家正の居城となりました。また縄文時代や弥生時代の貝塚も発見されている歴史ある城となっています。
香川県
高松城
高松城(たかまつじょう)は香川県高松市にある日本100名城に指定されている城です。
近世城郭の海城として最大で「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謳われていた城となっています。また戦を経験していない城という特徴も持っています。尚、現在は玉藻公園として住民に親しまれるスポットとなっています。
丸亀城
丸亀城(まるがめじょう)は香川県丸亀市にある日本100名城に指定されている城です。
日本一高い石垣の城を誇る丸亀城は石垣の名城としても名高い城となっています。その中でも特に三の丸の高さ20メートル以上の石垣や算木積みされた美しい曲線美の石垣は見ごたえがあるものとなっています。
高知県
高知城
高知城(こうちじょう)は高知県高知市にある日本100名城に指定されている城です。
山内一豊によって創建された400年の歴史を持つ城で、南海の名城として名高い城となっています。高知市の中心にあり、国のの重要文化財に指定されている天守閣が城のシンボルとなっています。
九州・沖縄地方
福岡県
福岡城
福岡城(ふくおかじょう)は福岡県福岡市にある日本100名城に指定されている城です。
黒田長政が関ヶ原の戦いで功績をあげたことで福岡藩初代藩主となり、福岡城を築きました。そんな福岡城は海側から見ると鶴が羽ばたく姿に見えることから「舞鶴城」とも呼ばれていました。
大野城
大野城(おおのじょう)は福岡県大野城市にある日本100名城に指定されている城です。
全長約8キロに及ぶ広大な城で、7世紀初めの頃からある歴史ある城です。土塁と石垣で山を囲んだ古代の山城となっていて、大和朝廷によって築城されました。
佐賀県
吉野ヶ里歴史公園
吉野ヶ里歴史公園(よしのがりいせきこうえん)は佐賀県神埼郡にある日本100名城に指定されている城です。
古墳時代や弥生時代の集落の様子を復元した施設で、竪穴住居や高床倉庫などその時代を表す建造物が立ち並んでいます。また園内はとても広く、いくつもの集落が再現されていることから、稲作の文化が始まり、定住文化が根付いた時代の雰囲気を感じることができる場所となっています。
沖縄県
今帰仁城
今帰仁城(なきじんぐすく)は沖縄県国頭郡にある日本100名城に指定されている城です。
13世紀からの歴史を持つ城で、標高約100メートルに位置している山城です。外郭は高さは2m前後の石垣が百m蛇行して続いていて、堅牢な造りとなっています。
中城城
中城城(なかぐすくじょう)は沖縄県中頭郡にある日本100名城に指定されている城です。
城は6つの郭からなり、天然の要害として自然の岩石と地形的条件を巧みに生かしながら造られています。また城は美しい曲線で構成され、石垣の上に立つと東シナ海から太平洋まで様々な風景を見ることができます。
首里城
首里城(しゅりじょう)は沖縄県那覇市にある日本100名城に指定されている城です。
首里城は尚巴志が琉球王朝を作った際、王家の居城となった城でした。城の造りは日本と中国の建築様式を用いられているため、他の城とは違った特徴的な造りとなっています。