引用:NHK
麒麟がくるのまとめになります。あらすじや人物紹介を載せていますがネタバレありになりますのでお気をつけください。
- 概要
- あらすじ
- 第1話「光秀、西へ」
- 第2話「道三の罠(わな)」
- 第3話「美濃の国」
- 第4話「尾張潜入指令」
- 第5話「伊平次を探せ」
- 第6話「三好長慶襲撃計画」
- 第7話「帰蝶の願い」
- 第8話「同盟のゆくえ」
- 第9話「信長の失敗」
- 第10話「ひとりぼっちの若君」
- 第11話「将軍の涙」
- 第12話「十兵衛の嫁」
- 第13話「帰蝶のはかりごと」
- 第14話「聖徳寺の会見」
- 第15話「道三、わが父に非(あら)ず」
- 第16話「大きな国」
- 第17話「長良川の戦い」
- 第18話「越前へ」
- 第19話「信長を暗殺せよ」
- 第20話「家康への文」
- 第21話「決戦!桶狭間」
- 第22話「京よりの使者」
- 第23話「義輝、夏の終わりに」
- 第24話「将軍の器」
- 第25話「羽運ぶ蟻(あり)」
- 第26話「三渕の奸計(かんけい)」
- 第27話「宗久の約束」
- 第28話「新しき幕府」
- 第29話「摂津晴門の計略」
- 第30話「朝倉義景を討て」
- 第31話「逃げよ信長」
- 第32話「反撃の二百挺(ちょう)」
- 第33話「比叡山に棲(す)む魔物」
- 第34話「焼討ちの代償」
- 第35話「義昭、まよいの中で」
- 第36話「訣別(けつべつ)」
- 第37話「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」
- 第38話「丹波攻略命令」
- 第39話「本願寺を叩け」
- 第40話「松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも)」
- 第41話「月にのぼる者」
- 第42話「離れゆく心」
- 第43話「闇に光る樹」
- 最終回「本能寺の変」
- 主な登場人物
概要
引用:NHK
室町時代末期、世の中は乱れ群雄割拠の時代に突入する中で、明智光秀は美濃の斎藤道三の家臣として活躍していた。そして光秀は勇猛果敢な性格と高い知力を生かして道三に重用されていた。
しかし光秀は戦いが続く日々の中で、人々が悲惨な思いをしつつも争いがなくならない世の中に疑問を覚えていく。
そんな中光秀の主君である道三が死去すると光秀も美濃から離れることとなる。そして光秀は平和な世を作ることを目指して戦国の世を渡っていく。
あらすじ
この項目画像は[NHK]からの引用になります
第1話「光秀、西へ」
明智光秀は美濃の斎藤道三の配下として国境にある明智城の守りをしていたが、野党を追い払った際に鉄砲の存在を知る。そして光秀は鉄砲に興味を持ち堺に鉄砲を買いに行こうと考える。
その後光秀は道三を説得して鉄砲の買い付けに行けることになるが、代わりに病気で苦しむ道三の側室を治すため名医を連れ帰る約束をする。そして道三から旅の許可と資金援助を受ける。
その後光秀は京への道中で情報を集めながら悲惨な世の中を目にする。
その後光秀は堺で鉄砲を手に入れ、京で医師を説得し美濃へ連れていくことに成功する。そして医師と共に美濃へ向かう。
一方光秀が美濃へ戻る前、織田家が美濃へ攻め入ろうとしていた。そして道三は織田家を迎え撃つべく準備を始める。
第2話「道三の罠(わな)」
尾張の織田信秀が2万の兵を率いて美濃へ攻め入るが、斎藤軍は4千の兵が集まらず4千の兵で織田軍を迎え撃つことになる。
そして旅から戻った光秀も戦に参戦することになるが、光秀は戦支度の際に道三に旅の旅費を半分返すか侍大将の首2つを取るよう命令される。
その後戦が始まり斎藤軍は劣勢に陥るが、道三の一計で戦況をひっくり返して織田軍の撃退に成功する。
そんな中光秀は侍大将の首を取り手柄をあげていたが、殺し合いをしなければならない戦国の世に疑問を感じていた。
その後道三の元に帰蝶の夫で美濃の守護である土岐頼純が訪れる。そして道三は頼純がひそかに信秀と手を結び裏切っていたことを問いただすと、頼純は道三は美濃のトップに相応しくないと怒りだす。それに対して道三は頼純を落ち着かせた後に頼純に毒を飲ませて毒殺する。
第3話「美濃の国」
斎藤軍が織田軍を撃退してから半年が経ち光秀達はいつもの日常を送っていた。
そんな中帰蝶は父親である道三が夫の頼純の謀反を知り殺したことについて頭を悩ませていた
一方道三は頼芸の元を訪れ頼純の代わりに守護になるよう頼むと同時に頼芸を操り人形と呼び険悪な関係が更に悪化する。
そんな中義龍は頼芸などその他多数の武将から期待をされ、道三にとって代わり美濃を収めるべきだと思い始めていた。そして義龍はそのことを光秀に相談し協力を依頼すると、光秀はそうなったときには義龍に協力すると返答する。
片や織田家には頼芸からの手紙が届き、手紙には道三を潰すべく再び美濃へ攻め入ってほしいという内容が記されていた。そして信秀は美濃への進軍を検討するが、そんな中駿河の今川義元が三河へ侵攻しているとの知らせを受ける。そして信秀は今川軍を迎え撃つ準備をし、織田軍と今川軍は三河の小豆坂で交戦する。
第4話「尾張潜入指令」
1548年春、今川義元と織田信秀は三河の小豆坂で交戦となり、決着つかずの痛み分けとなった。しかし織田軍の消耗はひどく、信秀は手傷は負ってしまっていた。
その後小見の方の治療を終えた東庵は道三から報酬をもらうが、その際東庵は信秀との繋がりを見抜かれ、道三に信秀の元へ行く際に情報を漏らすよう脅される。そして東庵は道三に信秀の情報を漏らすと誓う。
その後東庵は尾張へ行き信秀と接触する。そしてひそかに尾張に潜り込んだ光秀が東庵からの手紙を受け取る。
その後光秀は美濃へ戻ると、道三に東庵からの手紙に信秀は流れ矢が元でもう手遅れの状態になっていると記されていたと告げる。そして道三はそのことを聞きに大いに喜ぶ。
その後光秀と道三は常在寺の日運住職の元へ出向く。そして光秀達は日運から幕府の命令で本能寺が鉄砲を作っていると知らされる。
第5話「伊平次を探せ」
光秀は鉄砲の構造を知るため、以前美濃にいて現在鉄砲の製造に携わっている伊平次を探し始める。
その後伊平次が京の本能寺にいることを知り、光秀は再び京へ行く。しかし本能寺に伊平次はいなかった。
その後光秀は京で久秀と藤英に再会する。そして光秀は久秀に連れられて伊平次の元へ行く。
その後光秀は伊平次に再会すると次第にお互いが昔からの知り合いだったこと思い出す。そして伊平次は光秀に協力的に鉄砲の構造を教えることにする。
第6話「三好長慶襲撃計画」
光秀は伊平次が分解した鉄砲のパーツを見て喜びながら観察していた。そんな中光秀は伊平次から、久秀と長慶が連歌の会に参加した際暗殺されるという話を聞いたと知らされる。そして光秀は藤英と藤孝に相談する。
その後久秀と長慶は万里小路の館で行われる連歌の会で襲撃される。しかし光秀、藤英、藤孝が駆け付け久秀と長慶を救い出す。そして久秀と長慶の暗殺を企てた細川春元は悔しがる。
その後光秀は怪我の手当てをしてもらうため東庵の元を訪れる。そして傷が癒えると東庵にお供を申しつけられた駒と共に美濃を目指す。
一方道三は大柿城攻めをして、信秀に奪われていた大柿城を奪い返していた。
第7話「帰蝶の願い」
信秀は嫡男である織田信長と帰蝶の婚姻を条件に道三に和睦の申し入れる。そして道三は和睦を検討するが、帰蝶が信長との縁談を拒否して困り果てる。
その後光秀は道三に呼び出されて帰蝶の説得を依頼される。しかし光秀は義龍にも呼び出されると、義龍からは帰蝶の嫁入りを破棄させてほしいと頼まれる。
その後光秀は帰蝶に嫁入りの件を話すと、帰蝶は光秀に信長はうつけとの評判があると言い、美濃では信長を見た者はいないから見てきてほしいと告げる。そして光秀は頷く。
その後光秀は織田家の殿様などもたまに顔を出すという尾張の熱田市場へ商人として潜入する。そして信長が毎朝漁に出ているという情報を聞きつけると翌朝海で信長を待つことにする。そして翌朝信長が漁から戻ってくると光秀は信長の姿を目にする。
第8話「同盟のゆくえ」
光秀は尾張の熱田に潜入して、信長の様子をみていた。そんな中信長は漁で取ってきた魚を陸にいた人々に格安で売っていく。そして信長は魚を配り終えると海辺を後にする。それを見た光秀は信長という人物がどんな人物かイマイチ掴めずにいた。
その後光秀は美濃に戻り帰蝶の元へ行く。そして光秀は帰蝶に信長はよくわからない人物だったと言うと、尾張への嫁入りはするべきだと進言する。それに対して帰蝶は光秀がそう言うなら行くべきなんだろうと返答する。
その後光秀は義龍に呼び出されて帰蝶を引き止めておかなかったことを責められる。そして光秀は義龍に連れられ頼芸の元へ行くと、頼芸は光秀に今回の和睦は間違っていると言うが、光秀は和睦は血を流さずに平和が手に入り意味があると思うと返答する。それを聞いた頼芸は今日はここまでにしようと席を立ってしまう。しかしその後も義龍は道三が和睦をしてしまったことへの怒りが収まらずにいた。
その後光秀は京へ帰る駒を途中まで見送る。
一方義元は松平弘忠を呼び出していた。そして義元は弘忠に斎藤家と織田家の和睦を危険視していることを告げ、今こそ尾張攻めをするべきだと言い放つと、弘忠は頷く。
そして1549年、斎藤家と織田家の和睦が話し合われて2か月、帰蝶は織田家へ嫁いでいった。しかし帰蝶の嫁入りの日、信長はなかなか帰蝶の前に姿を現さなかった。
第9話「信長の失敗」
尾張と美濃の和睦が成立して信長と帰蝶の祝言がとり行われていた。そんな中義元は尾張と美濃の和睦に危機感を募らせ、弘忠と尾張攻めを決定する。しかしその後弘忠が信長に暗殺されてしまう。そして菊丸は弘忠の死を発見し竹千代の叔父である水野信元に知らせると、信元は菊丸になんとしても竹千代を守るよう告げる。
一方那古野城では待ちぼうけだった帰蝶の前にボロボロの格好をした信長が現れる。そして信長は村人のために村へ出ていたと言うと帰蝶は納得した様子をみせる。
その後信長と帰蝶は信秀と信長の母・土田御前のいる末盛城へ行く。そして信長達は信秀達に挨拶をする。その後信長が信秀に引き出物として箱を渡すとそこには弘忠の首が入っていた。それを見た信秀はみるみるうちに顔色が変わり帰蝶と土田御前を退出させて信長と二人きりになる。そして信秀は信長に弘忠暗殺で織田と今川は戦争になると告げ信長を責めて殴りつける。
そんな中帰蝶は土田御前と話をしていたが、土田御前は竹千代を無下に扱い、信長の弟・信勝を可愛がっている様子をみせる。その後帰蝶は激怒している信長と一緒に城に戻る。そして信長と帰蝶は那古野城でお互いの親の話をして少し打ち解けた様子をみせる。
片や光秀は光安の命令で妻木へ米を運んでいたが、そこで子どもの頃に遊んだ熙子と再会する。しかし実は熙子との再会は光安の計らいだった。光安は光秀に身を固めてもらって明智城を譲ろうと考えていたが、光秀と熙子は出会っただけで特に仲の進展はなかった。その後光秀は家に戻るが、光安は光秀と熙子の関係に進展がなかったことがわかると肩を落とす。
一方京では駒が光秀に恋心を抱きつつも叶わぬ恋だと考え思い悩む日々が続いていた。そして日々ボーっとして身が入らずにいる駒を見て東庵や患者達は駒の心配をしていた。
第10話「ひとりぼっちの若君」
1549年夏、美濃から京に戻った駒は思い悩んでいた。そんな中駒は昔一緒に過ごしていた伊呂波大夫と再会する。そして駒は美濃で好きな人ができたけど思いを遂げられない人だったと悩みを打ち明ける。その後駒は伊呂波大夫との話の中で命の恩人は桔梗紋を身に着けていたことを知る。そして駒は家に戻り明智家でもらった扇子を広げるとそこに明智家の家紋である桔梗紋が記されているのを確認する。そして駒はそれを見て涙を流す。
その後1549年11月、三河で戦が起こる。そして今川軍が尾張の国境にある安城城攻め、信長の腹違いの兄である織田信広を捕らえる。そして織田家と今川家の間に織田信広と松平竹千代の人質交換の話が持ち上がる。しかし信長はこの人質交換には反対だった。
その後道三は織田家と今川家の情勢を気にして尾張の現状を知るため光秀に帰蝶の元へ行って尾張の様子を探ってくるように命じる。そして光秀は帰蝶と面会するがその際信長が現れる。そして信長は光秀と話すと光秀を気に入る。
その後信長と竹千代は将棋を指していたが、信長は竹千代に人質交換の話がきていることを告げる。そして信長は竹千代は今川へ行くべきではないと思うが迷いはあると告げる。それに対して竹千代は信長が迷っているなら自分はどちらでもいいと返答する。
第11話「将軍の涙」
1549年11月、尾張の織田家で人質となっていた竹千代は、織田信広との人質交換で駿河の今川義元の元へ送られることとなった。
その後1550年夏、義元は尾張の知多半島を攻めて次々と制圧していった。そしてこの出来事により信秀の体調悪化が明らかとなってしまう。
そして美濃は同盟を結んでいる織田家が危機に陥っていることで援軍を求められ対応に迫られていた。しかし道三は家臣をまとめることができず援軍を送ることを諦め、その伝達を光秀に任せる。その後光秀は信長との対話で織田家、今川家の和睦を思いつく。しかし光秀が道三にそのことを伝えると間に入ってもらう将軍に払う金は出せないと光秀の提案を断る。その後光秀は義龍と土岐頼芸の元へ行き、頼芸を説得して将軍への手紙と金を出してもらう。
その後光秀は近江で将軍と謁見し事情を説明する。そして将軍は光秀の提案を受け入れ織田家、今川家に和睦の使者を出すことにする。その後光秀は美濃への帰路に着く。
第12話「十兵衛の嫁」
尾張と三河の国境で争っていた織田家と今川家は足利義輝の仲立ちもあり和睦をした。そしてその結果今川家は劣勢だった織田家から重要な拠点を手に入れた。
その後信秀は体調不良が悪化して起き上がれないほど弱ってしまう。そして信秀は信長や信勝、更に家老を呼び出すと、もし自分の身に何かあったら織田家の主軸である末盛城を信勝に継がせて佐久間を側近につけると告げる。更に信長には引き続き出城である那古野城を任せて平手を側近につけると続ける。それに対して信長は納得のいかないと声を荒げて信秀と言い争いになってしまう。そして信長はその場を後にする。
そして後日、信秀は死亡する。
一方美濃では光秀が明智秀満らと妻木へ鷹狩りに行くが、そこで熙子と再会する。そして光秀は熙子と一緒にいるうちに熙子への思いを語りプロポーズをする。その後光秀と熙子結婚をして婚儀を済ませる。
その後頼芸が道三を暗殺しようとして失敗する。そして頼芸の暗殺未遂に激怒した道三は家臣たちを稲葉城へ集める。その後道三は家臣たちに自分が頼芸に暗殺されそうになったことを告げ、頼芸と一線交えると言い出す。その後その場は解散して各自が散るが光秀の元に義龍が来ると、義龍は道三が頼芸と一線交えるなら自分は稲葉達とともに頼芸を守って道三と戦うと告げる。そして義龍は光秀にも一緒に戦ってほしいと告げその場を後にする。
第13話「帰蝶のはかりごと」
光秀は道三の元へ行き、頼芸との戦争はするべきではないと意見を主張する。それに対して道三は本気で頼芸と戦をするつもりはないと返答する。そして道三は頼芸には穏やかに美濃を出て行ってもらう告げる。
その後頼芸は鷹狩りへ行こうとするが鳥小屋の鷹が皆殺しにされていることを知る。そして頼芸は道三に恐れをなして美濃を出ていく。その後梯子を外された義龍は道三の元へ行き、両者は言い争いになる。そして深芳野が二人の間に入るが、道三は義龍にそろそろ家督を譲ろうと思ったがそうもいかないようだなと告げその場を後にする。
一方東庵と駒は駿河を目指していたが、二人は道中で休んでいる最中に木下藤吉郎と出会う。そして藤吉郎は駒に文字が読めないと出世できないから文字を教えてほしいと頼み込む。それに対して駒が本に書いてある文字を教えると、藤吉郎は意味がわかって嬉しそうにはしゃいで木に登る。それを見て東庵と駒はいぶかしげな顔をする。
片や尾張では信長が家督継いだことで内輪揉めが起こっていた。特に信長と彦五郎の対立は激しく、その対立を収めようと信長の家老平手が切腹をしたが両者の争いが収まることはなかった。そんな中信長の元に道三からの手紙が届き、手紙には道三が信長との面会を所望する旨が記されていた。それに対して信長は道三を信用できずに断ろうとするが、帰蝶が断れば和睦が破棄されると進言して信長は道三との面会に行くことにする。
その後1553年4月、道三と信長は聖徳寺で会うことになる。そして信長は聖徳寺に向かうための身支度をしていたが、帰蝶は鉄砲兵を信長のために用意し、道三が好むであろう着物を信長に渡す。その後信長は聖徳寺へ向かう。その後道三達は一足先に聖徳寺近くへたどり着くと付近に隠れて信長達を待ち伏せていた。そして道三は光秀達に信長が会うに足らん人物だと判断したら隠れている兵と共に聖徳寺で信長を討ち取ると告げる。その後信長達が現れるが、信長は多くの兵と300を超える鉄砲隊を引き連れ派手な格好で現れる。そして道三はその兵士と信長の出で立ちに驚いて目を見開く。
第14話「聖徳寺の会見」
道三は聖徳寺の部屋で信長を待っていたが、信長は一人で部屋に現れる。そして信長は道三と対等に話をするが、道三は信長が一人でいることを不思議に思い家老はいないのかと尋ねる。それに対して信長は自分のようなたわけには家老は必要ないと告げ佐々成正と前田利家を呼ぶ。そして信長は二人は身分は低いが戦になれば誰よりも働くと告げ、自分の考えとこれからの世についての思いを語る。それに対して道三は信長の考えに驚嘆し、信長を見事なたわけだと言うと無事会見は終了する。
一方東庵と駒は駿河で太原雪斎の治療をしていたが、雪斎は東庵に一生駿府で面倒みる代わりに自分を後2年生かしてほしいと頼み込む。それに対して東庵はなぜ2年なのか尋ねると、雪斎は信秀が死後に家督を継いだ信長を危険視していることを告げ、信長を討つために2年ほしいと返答する。
その後今川軍は尾張攻略のため尾張の緒川城付近に村木砦を築いた。そして緒川城は信長に助けを求めると、信長は緒川城へ討って出ている間、道三に那古野城を守ってほしいと依頼する。そして道三は義龍達の反対を押し切り援軍を出すことにする。
その後信長は村木砦で今川軍と交戦するが、信長はその際戦で初めて鉄砲を使用する。そして信長は鉄砲隊と用意周到な攻めで今川軍を村木砦から一掃した。
その後深芳野が死んでしまう。そして道三は深芳野の元へ駆け付け涙を流すが、義龍は深芳野を飼い殺しにしたと道三を責め立てる。それに対して道三は深芳野を大切にしていたと反論するが、義龍は本当に深芳野を大切に思っていたなら深芳野が望んだとおり自分に家督を継がせるべきだと詰め寄る。そして道三は義龍に家督を継がせると返答する。
第15話「道三、わが父に非(あら)ず」
道三は深芳野の死をきっかけに出家して嫡男の義龍に家督を譲った。しかし道三の次男・斎藤孫四郎、三男・斎藤喜平次、更に帰蝶が義龍が家督を継いだことを納得していなかった。そして光秀は孫四郎達に義龍から家督を奪還するのを手伝ってほしいと頼まれるが、きっぱり断る。その後光秀は道三の元へ行くと、義龍が家督を継いだことを孫四郎や帰蝶が納得しておらず混乱が起こっていると告げる。しかし道三は義龍が自分で乗り越えることだと言いその場を後にする。
その後尾張の守護・斯波義統が清州城で彦五郎の家老に討ち取られる。そして義統の嫡男である斯波義銀は信長を頼って那古野城へ落ち延びる。そして信長は義銀を歓迎して迎え入れ、身を盾にして義銀を守り清州城へ攻め入ると告げる。しかしその後信長は圧倒的軍勢を持つ彦五郎を前になかなか清州攻めをできずにいた。そんな中信長と親しい信秀の弟である信光が清州城へ出向いて彦五郎と碁を打ち、隙をみて彦五郎を襲って斬り殺す。そして城の主を失った清州城はあっという間に信長の手に落ち、反信長の牙城は崩れ去る。そして尾張は事実上信長の物となり、この事実は周辺諸国に衝撃を与える。
その後義龍達は尾張が信長の物となったことに対して危機感を募らせていた。更に義龍達はこれで帰蝶が今まで以上に孫四郎達の後押しをするのではないかと考え始める。そして義龍は病気で伏せっていると噂を流して見舞いに訪れた孫四郎と喜平次を殺してしまう。そして道三はそのことを知り孫四郎と喜平次の亡骸を見て嘆き悲しむ。その後道三は稲葉山城を脱出し、美濃の北にある大桑城へ向かう。国を二分する戦の前触れであった。そして光秀は義龍が孫四郎と喜平次を殺したことを知り激しく動揺する。
その後義龍は家臣を集め、自分は土岐頼芸の息子であり土岐源氏の血を引いていると告げ、道三は父にあらずと声高らかに語る。そして義龍は孫四郎と喜平次は城を乗っ取り美濃を混乱に陥れようとしていたから討ち取ったと告げる。更に義龍は今後はみなで力を合わせて揺るぎのない国を目指すと言い放つ。
第16話「大きな国」
美濃は道三と義龍の間でいつ戦が起こってもおかしくない状況となっていたが、そんな中光秀と光安は戦になった場合にどう動くべきか迷っていた。そして光秀は帰蝶や義龍に会いに行き、戦を避けるために奔走する。
一方駿河では太原雪斎が病死してしまう。そして雪斎の治療をしていた東庵と駒から情報が漏れないようにするために二人は寺で軟禁される日々を送っていたが、東庵達はその中で徳川家康と知り合い親交をもつ。そんな中駒は美濃の国が二分して戦が起こりそうと知り、菊丸に頼んで寺から一緒に逃げ出すことにする。
片や美濃では道三が義龍と戦うことを決めて大桑城へ兵を招集し始める。そして光秀は道三の元へ行き出陣をやめてほしいと願い出るが道三の決意は変わらなかった。そんな中道三は光秀に大和をまとめるような大きな国を作りたかったが美濃一国で終わったと言い、信長なら大和を纏めるような大きな国が作れるかもしれないと告げる。更に道三は光秀と信長で大きな国を作るのだと言うと戦場へ向かう。
その後光秀が館に戻ると人々が慌てふためいていた。そして光秀は伝吾から光安が道三の陣へ向かったと知らされる。更に光秀は牧から義龍の使者がきて稲葉山城へ来るようにとの知らせがあったと聞かされる。そして光秀は部屋で思案する。その後光秀は戦支度をすると家臣を集める。そして光秀は家臣に大きな声で道三の陣へ行く、敵は義龍だと号令を発する。
第17話「長良川の戦い」
美濃は道三と義龍が対立し国を二分する戦が勃発してしまう。そして道三は長良川の北岸に、義龍は長良川の南岸に陣を構える。その後道三軍と義龍軍は長良川を渡って戦になる。そして戦は一進一退の戦いとなるが、義龍が大軍を率いて出陣すると勝敗は決定的となった。
その後義龍の前に道三が現れる。そして道三は義龍に一騎打ちを申し込むと義龍は受けることにする。その後道三は義龍に父親は誰だと尋ね、義龍は父親は土岐頼芸で自分は土岐源氏の血を引いていると叫ぶ。それに対して道三は義龍の父親は自分で義龍は成り上がり者の息子だと告げると、義龍は家臣達に道三を討てと命令する。その後道三は義龍めがけて特攻するが義龍の家臣に槍で突かれて致命傷を負う。そして道三は義龍にしがみついて絶命する。
その後義龍達の前に光秀が現れる。そして義龍は光秀が道三軍について自分を裏切ったと責め立てるが、今一度挽回のチャンスを与えるから今後は一緒に国の政を手伝ってほしいと告げる。それに対して光秀が義龍の誘いを断ると、義龍は光秀に明智城を攻め落として光秀の首を取ることになると言い放つ。その後光秀はその場を後にする。
その後光秀は明智城へ戻る。そして光秀は光安と再会すると、光安は光秀に家督を譲る。そんな中明智城には義龍達の兵が迫っていた。そして光安は光秀に明智家の旗印を渡して何よりも明智家の血筋を残すことを優先するようにと命じる。更に光安は光秀に城を捨てて落ち延びて、明智家の主としてまたいずれ城を持てるように出世してほしいと告げる。それに対して光秀は家臣達の身を案じるが、光安は家臣達は既に助かるように手はずは整えてあると告げる。そして光秀は涙ながらに落ち延びることを決意すると、光安は光秀達が城から逃げるのを見届ける。
その後光秀は館に戻ると牧や熙子達に光安の命令で落ち延びることとなったと告げる。そんな中伝吾達が光秀に別れの挨拶をしにくる。そして光秀達は別れの挨拶をすますと美濃を出ることにする。その後明智城が義龍軍に攻められる。そして光秀達は時間がないことを悟り、急いで館を離れる準備をする。
第18話「越前へ」
光秀達は迫りくる義龍軍を前に旅立つ準備を終えて美濃を出ようとしていた。そんな中光秀の前に駒と菊丸が現れると、光秀は駒と菊丸も連れて美濃を後にする。その後光秀達は帰蝶の依頼で来たという伊呂波大夫と出くわし、伊呂波大夫に連れられて越前を目指す。そんな中駒の命の恩人が光秀の父、光綱だと判明し駒は涙を流す。その後光秀達は無事越前へ到着する。
越前は朝倉義景が治めていたが、畿内の争いをよそに確かな繁栄を築いている土地だった。そして光秀は伊呂波大夫の紹介で朝倉義景と面会すると越前に匿ってもらえることとなる。その後光秀達は義景から与えられた民家に行くがそこは朽ち果ててボロボロの家だった。そして光秀は戦に負けたことで全てを失ったと自分の無力さを感じていたが、牧はそんな光秀に光綱が人には浮き沈みがあり、沈んだ時にどのように過ごせるかでその者の値打ちが決まると言っていたと告げる。そして光秀は父親との思い出を振り返る。
一方尾張では道三が死んだことにより情勢が変化し、信長への謀反の動きを企てる者が出てくる。そんな中信長の元に信勝の重臣である柴田勝家が訪れる。そして勝家は信勝に謀反の動きがあり、信勝の背後には斎藤義龍がいると告げる。更に義龍と今川義元は繋がっているため、信勝が謀反を起こせば斎藤軍と今川軍が尾張を狙ってくるだろうと告げる。それに対して信長は以前信勝が謀反を企てたときに母親の願いを聞いて信勝を処刑するのを止めた自分が愚かだったと呟く。
その後信長は病気と偽り信勝を清州城へ呼び寄せる。そして信勝は文句を言いながらも信長の見舞いへ訪れる。その後信長の元に信勝が現れると、信勝は信長に万病に効く水を持参としたと献上する。それに対して信長は病気は偽りで、信勝をおびき出して殺そうと思ったが殺すのをやめたと告げる。そして信勝は唾をのみ込み押し黙る。そして信長と信勝はお互いへの思いをぶつける。
その後信長は信勝に持参した水を飲めと命じる。それに対して信勝は許してほしいと頭を下げる。しかし信長は険しい顔をして大きな声で持参した水を飲めと強要する。その後水を飲んだ信勝は信長の目の前で死亡する。
第19話「信長を暗殺せよ」
1558年足利義輝は三好長慶と和解し5年ぶりに京へ戻ることとなった。そして義輝と長慶は相国寺で面会する。そんな中光秀は朝倉義景の使者として義輝の回帰祝いを渡すため京へ行くことになる。
その後光秀は京へ行くと細川藤孝と三淵藤英に会う。そしてお互いに再会を喜ぶが、藤英は義景が上洛しなかったことを残念がる。更に藤英は諸大名に書状を送っているが義景のように上洛せずに家臣を使わせる者が多いと呟く。そんな中藤孝は信長がこの後上洛する予定だと告げる。その後光秀は斎藤義龍とも京で再会する。そして両者の間に不穏な空気が流れるがお互いに声をかけることはなく義龍はその場を後にする。
その夜光秀は藤孝と食事をしていたが、そんな中光秀は藤孝から、義龍が信長の上洛を待ち伏せして信長を暗殺しようとしていると聞かされる。その後光秀は松永久秀が現在の京を仕切っていることを知り、久秀に信長の件について義龍への口添えを頼む。そして久秀は義龍の元へ行くと、信長の暗殺を企てている者がいるから京の安全を守るために力を貸してほしいと告げる。そして義龍は頷き信長を襲うのを止めることにする。
その後光秀は義龍に呼び出されて義龍の部屋へ向かう。そして光秀は義龍と面会すると、義龍に久秀を通じて信長襲撃を止めたことをよく考えた手だなと言い放たれる。更に義龍は光秀に美濃に戻って再び自分の家臣に戻るよう説得を試みる。しかし光秀は義龍の申し出をはっきりと断る。その後光秀は義龍が態度を急変させたことを気にして義龍に事情を尋ねる。それに対して義龍は親、兄弟殺しをしてしまった自分にはもはや心ある部下はおらず、みんな自分を恐れて従っているだけになってしまったと弱音を漏らす。そして光秀達はしばしの間話をする。その後光秀が部屋を出ようとすると義龍は光秀にもう会うことはないだろうと別れの言葉を投げかける。
その後信長は義輝と面会する。そして信長は尾張平定を報告すると、義輝は何かしてほしいことはあるかと尋ねる。それに対して信長は今川義元と斎藤義龍が手を組んで尾張を狙っているから両者に話をつけてほしいと頼む。しかし義輝は今の自分には大名同士の争いを止める力はないことを告げる。その後光秀は尾張へ戻ろうとする信長の前に顔を出す。そして二人は近況を報告しあうが、信長は尾張が心配だから至急尾張へ戻ると告げその場を後にする。
そして2年後、斎藤義龍は病によりこの世を去る。
第20話「家康への文」
1560年駿河では今川義元が家臣達を集めて、大高城と鳴海城を足掛かりに尾張へ攻め入るための評議をしていた。そして義元はこの戦には自分も出陣すると告げ家臣の士気を高めると、先陣を徳川家康率いる三河の兵に任せることにする。その後義元は2万5千の兵士を率いて尾張を目指す。
一方越前では光秀に子どもが生まれていた。そんな中光秀は尾張の織田信長が今川と一大決戦をしようとしていることを知り、尾張を救うため一計を案じて帰蝶に手紙を出す。その後光秀は信長に会うため尾張へ向かう。
片や尾張では信長達が今川軍の侵攻を知り評議を開いていた。そんな中帰蝶は光秀の策に従って家康を寝返らせるために、家康の母である於大の方と叔父の水野信元を取り込んでおこうとしていた。そして信長はそのことを知り帰蝶と共に於大の方達の元へ行くことにする。その後信長達は今川軍を打ち破った際には家康達に三河を返すことを約束して於大の方と信元の説得に成功する。
その後義元は三河の岡崎城に入り、家康は兵糧を持って大高城へ向かう。そんな中信長は家臣達に家康には手を出さずに大高城へ通すようにと命令を出す。そして家康はなんなく大高城へ入城することに成功する。しかし家康は織田軍から一切の攻撃を受けずに大高城へ入れたことに不信感を抱いていた。
その後家康の部屋に菊丸が現れる。そして家康は菊丸から於大の方と信元からの手紙を渡される。更に家康は今回の件について事情を説明され、今川を裏切って滅ぼせば三河の者は解放されるから今川を裏切るべきだと菊丸に進言される。
第21話「決戦!桶狭間」
1560年駿河の今川義元が尾張へ迫っていた。大高城、鳴海城は既に今川家に落ちていたが、これを機についに義元が出陣する。そして義元は沓掛城で家臣達と評議していたが、今川軍3000の兵と徳川家康に丸根砦と鷲津砦の攻略をさせることを決める。そして義元は丸根砦と鷲津砦を一気に攻め落として大高城へ入城すると告げる。
一方家康の元には菊丸が訪れていたが、家康は今川裏切りを進言する菊丸に対して今はその時ではないと返答し、今川軍として戦うことを於大の方と信元に伝えるように告げる。その後家康は夜明け前に丸根砦を襲撃する。その後丸根砦と鷲津砦は今川勢の手によって陥落する。そして家康達は砦で勝鬨をあげる。
片や信長は今川軍の兵士が分散していることに賭け打って出ることにする。そして帰蝶に側室の子どもである織田信忠(奇妙丸)を預けると帰蝶に信忠のことを任せて出陣する。そして信長は善照寺砦へ向かうが、同じ時に義元は沓掛城を出て大高城を目指していた。その後尾張に光秀が到着すると、光秀は帰蝶から信長が出陣したことや信忠のことについて知らされる。そして光秀は信長を追うため善照寺砦へ向かう。
その後砦を攻め落とした家康は大高城へ戻るが、今川家の家臣鵜殿長照から桶狭間へ向かうように告げられる。しかし家康は家臣に休息を取らせたいと返答し出陣を断る。それに対して長照は声を荒げて怒鳴り散らすが家康は長照の命令を拒否する。その後家康は大高城に留まり、桶狭間に向かうことはなかった。
その後信長は善照寺砦に到着すると義元が大高城へ到着する前に桶狭間で決着をつけようと考える。そして策を用いて義元本陣の兵を分散させると織田軍2700に対して義元本陣5000ほどの兵力差までにすることに成功する。その後信長は桶狭間へ向かうと告げ出陣の号令をかける。そして信長達が建物を出ると外では雨が降っていたが、信長は雨が降っていることを喜ぶ。
その後信長達は桶狭間で義元達の本陣を襲撃する。そして信長達は義元を発見するが、義元は家臣に連れられてその場を離れる。しかし毛利新介が義元を追い詰めて討ち取る。そして新介が義元を討ち取ったことを大声で叫ぶと今川軍は義元が討ち取れたことで総崩れとなり織田軍に敗れる。
その後信長が尾張への帰路についていると、信長の前に光秀が現れる。そして光秀は信長が義元を討ったことを褒めたたえると、信長は今まで何をしても褒められなかったと喜ぶ。そして信長はその場を去ろうとするが、光秀が次は何をするのかと尋ねると、信長は次は帰蝶のために美濃を取ると返答する。更に光秀がその後はと尋ねると、信長は笑みを浮かべて無言でその場を去る。
その後家康はようやく母親と再会し、信長の計らいで三河へ帰れることになる。
第22話「京よりの使者」
桶狭間の戦いから4年後、1564年冬、光秀は越前の家に籠り本を呼む日々を続けていた。そんな中光秀の長女であるお岸は成長し、次女であるたまも生まれていた。
一方その頃京では三好長慶が家臣の松永久秀と共に強大な権力を握り京を収めていた。そしてその力はもはや将軍足利義輝を超えるほどのものとなっていて頼輝はその状況に怒りを覚えていた。
そんな中光秀は義輝に招待されて京で義輝たちと能を見ることになる。そして能が終わると光秀は義輝と謁見する。そして義輝は光秀に長慶を討ってほしいと頼むつもりだった、だが思い直してそれは止めたと告げる。更に義輝は今の自分にはもはや力はなく大名は誰も従わないと続ける。そして義輝は太平の世を作りたかったが自分にはもはやそれができないと力なく呟く。それに対して光秀は強い大名が傍にいれば義輝は権威を取り戻すことができるであろうと告げ織田信長を義輝の傍に置くべきではないかと進言する。それを聞いた義輝は信長が京へ来るのかと尋ねると光秀は信長を連れて来ますと返答する。そして義輝は光秀に信長を連れてきてほしいと依頼をする。
その後長慶は病に倒れて息を引き取る。そして時代は動乱の時代へと突入していく。
第23話「義輝、夏の終わりに」
足利義輝に織田信長の上洛を依頼された光秀は信長の元を訪ねる。しかし光秀は信長に美濃攻めで忙しく上洛はできないと断られてしまう。その後豊臣秀吉が光秀に、義輝が三好長慶の息子によって奇襲されるとの噂が飛び交っていると告げる。更に秀吉は裏で手を引いているのは松永久秀だと続ける。
その後光秀は大和の松永久秀の元を訪れる。そして出迎えた久秀は光秀が義輝の件で訪ねてきたと察して光秀にすでに義輝は家臣たちから見放されてしまっていると告げる。それに対して光秀はだから義輝を討つのかと尋ねると、久秀は義輝には都から退いてもらうだけで討ちはしないと返答する。さらに久秀はもう三好一派も三好長慶の息子も自分の息子も義輝を退けるつもりだと告げる。続けて久秀は長慶が生きている間ならば義輝反勢力も長慶の力で抑えられたが、自分1人になった今はそれらの勢力を抑えることができないと続ける。
しかし光秀が武士には将軍が必要だと告げると久秀は義輝の代わりを用意すると告げ、さらにその場に藤孝を呼び寄せる。そして光秀は今回の件に藤孝すらも関わっていると知り驚きと愕然とした様子を見せる。そして久秀は光秀に義輝を討つ事は無いと言い安心するように伝えるとその場を後にする。
その後光秀は義輝の元を訪れる。そして義輝は光秀が信長の説得に失敗し連れてこられなかったことを察する。そのことにより義輝はもはや自分には全くなびく家臣がいないこと、また自分にはもはや何の力もないことを察する。そして義輝は光秀にそのことを告げると今回の働きについてのねぎらいの言葉をかける。更に義輝は全てが遅かったと言いできればもっと早くに光秀に出会いたかったと告げる。そして義輝は光秀に越前へ帰って朝倉義景に義輝は元気だったと伝えるように続ける。それに対して光秀は自分の力のなさを嘆いて涙を流す。
一方駒は伊呂波太夫に無料で配っている丸薬をお寺で売ろうと説得を受けていた。そして最初は反対していた東庵も丸薬販売に気持ちが傾くと駒は東庵もその気ならとお寺に丸薬を売ることにする。
その後1565年、病死した長慶の息子が兵を率いて義輝のいる二条御所を襲撃した。
第24話「将軍の器」
1565年京都で足利義輝が三好長慶の息子によって襲撃を受けた。そしてこの永禄の変で足利13代足利義輝はその30年の生涯を終えた。更に永禄の変によって将軍の座は空位となった。そんな中将軍を倒した三好一派は将軍の弟義昭を幽閉して自分たちが思いのままに操れる義栄を擁立しようとしていた。
その後松永久秀は義昭を興福寺から救出する。そんな中久秀の元をの元を光秀が訪れる。そして光秀は激怒した様子で久秀になぜ将軍を討ったと詰めよる。それに対して久秀はまさか息子たちがここまですると思わなかったと返答する。更に久秀は光秀に将軍の弟である義昭を匿っていると告げる。
そして久秀は光秀に朝倉義景から手紙がきていて光秀が来たら義昭に会って将軍の器かどうか確かめるよう勧めてほしいと書いてあったと伝える。更に手紙には義昭が将軍の器であったときはその身柄を越前で引き受けても良いとも書いてあったと続ける。それに対して光秀は驚いた様子を見せるが義昭に会って将軍の器か確かめることにする。
その後光秀は義昭の元を訪れると、そこに付き従っていた藤英と藤孝が現れる。そして光秀は2人と話しているとそこに義昭が現れる。そして義昭は光秀が義輝の信頼していた人物だと知ると挨拶をする。しかし義昭は弱々しい姿を見せ、自分は死にたくないと思い大和を出てきたが将軍の器では無いのではないかと思い始めていると告げる。それに対して藤英と藤孝は義昭を励まして屋敷の中へ連れて行く。そんな中光秀は義昭を見て何か思うようにじっと考え込んでいた。
その夜光秀は藤英、藤孝とともに酒を飲んでいたが、藤英も藤孝もおそらく光秀が感じたであろうことと同じことを感じたと言い、正直義昭が将軍の器ではないと感じていると告げる。しかし藤英たちはそれでも自分たちが義昭を支えていくから何とか義景に良きよう伝えてほしいと頼み込む。
その後越前に戻った光秀は義景に義昭とはどんな人物であったか、将軍の器が足る人物なのかと尋ねられる。それに対して光秀は義昭は将軍の器ではないと感じたとはっきり義景に伝える。それを聞いた義景は少し驚きながらも分かったと返事をする。
その後前久は帝に義栄を次の将軍に推薦する。
第25話「羽運ぶ蟻(あり)」
1566年、覚慶は還俗して足利義昭を名乗り朝倉義景を頼って越前へ向かった。しかし義昭たちは義景に敦賀で留め置かれ半年以上の月日をそこで過ごすこととなった。そんな中細川藤孝と三渕藤英は足利義栄が義昭より先に征夷大将軍への立場に近づいていることに焦りを感じていた。
一方織田信長は美濃から斎藤龍興を追放し美濃の平定を成功させていた。そして美濃は信長の支配下となる。その後光秀は信長に会うため稲葉山城へ向かう。そして光秀は信長と面会すると二人は太平の世にするためには大きな国が必要だという話になる。そして信長が光秀にどうすれば大きな国ができるか尋ねると、光秀は大きな国を作るなら次期将軍である義昭を手助けして上洛することだと返答する。そして信長は義昭は光秀から見て将軍の器たる人物かと尋ねる。それに対して光秀は沈黙する。
その後光秀は越前へ戻ると家に細川藤孝と足利義昭がいた。そして光秀は義昭と話をするが、その際義昭は自分の力を弱いが周りに支えてもらえれば将軍になることもできるし、自分が将軍になることで弱き民を救うこともできると告げる。更に義昭は弱き民を助けるためにも義景に良きに伝えてほしいと続ける。それを聞いた光秀は以前義昭に感じた印象とは全く変わり、義昭が将軍にふさわしい器かもしれないと思い始める。
その後光秀は義景の元へ行く。そして光秀は義景に再度義昭に会ってみて以前と印象が変わったと告げる。そして義昭は将軍にふさわしい器かもしれないと続ける。それを聞いた義景は覚悟を決める。そして光秀に松永久秀から手紙が届き、手紙には信長と一緒に義昭を支えて京都へ上洛すれば良いという内容が書いてあったと告げる。そして義景は義昭を支えて京へ行くことにしたと告げる。
しかしそんな中京では足利義栄が14代将軍に任命されてしまう。
第26話「三渕の奸計(かんけい)」
1567年、越前の朝倉義景がついに上洛を決意した。そんな中、京を手中に収めていた三好一派は足利義栄を足利14代将軍にすることに成功する。しかし義栄は重い病を抱えていたためため京へは行けず摂津に留まっていた。そんな中足利義昭は一条院で義景と二条晴義が見届ける中、元服を果たして無事武士となり次期将軍候補となった。そしてこのことにより義昭達は三好一派への起死回生の一手の準備が整った。
その後越前では義昭の元服を祝して宴会を開いていたがその席で義景は上洛についての意気込みを語る。しかし家臣達は上洛派と反上洛派で意見が分かれてしまう。そして光秀は朝倉家では上洛は果たせないと思い始める。
その後光秀は織田信長の元へ行く。そして光秀は信長に義景も他の諸大名も全て忘れて信長1人で義昭を上洛させるべきだと告げる。それに対して信長は大変驚いた様子を見せるが光秀の説得に応じて織田家のみで義昭を上洛させることにする。その後光秀は義昭の元へ行き義景は頼りにならないので信長とともに京へ上洛するべきだと進言する。それに対して義昭は光秀のことを信じて織田家を頼り美濃へ行くことを決める。
その後義景のもとに義昭から手紙が届けられる。その内容は義景に世話になった、美濃へ向かうという内容のものだった。それを見た朝倉義景は激怒して、山崎に国境を兵で固めて義昭を国から出すなと命令する。しかしその後義昭の嫡男が死亡する。そしてそのことにより義昭は茫然自失となってしまう。そんな中義昭など一行は義景に礼を尽くす。
その後朝倉家が落ち着いた頃を見計らい義昭たちは越前を出て美濃へ向かうことにする。そして藤英が義景の元へそのための挨拶をしに行くと義景は嫡男の葬儀の際義昭たちが礼を尽くしてくれたことに対して礼を言い、以前とは打って変わって義昭たちの美濃行きを認める。
その後義昭は越前を出て美濃へ向かう。
第27話「宗久の約束」
1568年、足利義昭は美濃の立政寺に到着した。そして出迎えた織田信長は丁重に義昭をもてなす。
その後信長は上洛について三好一派と六角が敵となり戦うことになると予測し光秀に京へ向かい豊臣秀吉とともに三好一派の兵力を調べることと朝廷が本当に三好一派を切って自分たちに協力するつもりがあるのかを探ってほしいと依頼する。そして光秀はその任務を引き受けることにする。
その後光秀は京へ行き秀吉と落ち合う。そして秀吉から京都の情勢を聞きさらに秀吉が信長をいかに尊敬しているかという話を聞かされる。その後光秀は伊呂波太夫と会う。そして光秀は信長が三好一派に勝てば義昭を将軍として朝廷は認めるかということを尋ねる。それに対して伊呂波太夫はそれは間違いないだろうと返答し、必要であれば朝廷のしかるべき人間に会わせると続ける。
その後光秀は三好一派に資金提供をしている今井宗久と接触する。そして光秀は宗久に三好一派へ力を貸さないようにと頼むと、宗久は信長が堺の街に手出しせず京も戦の舞台にしないと誓うのであれば三好一派へ力を貸さないと告げる。更に宗久はその証拠として織田家が上洛の際に武具を身に付けず丸腰で義昭を筆頭に上洛するのであれば自分も約束を守ろうと続ける。
その後美濃で信長に事の顛末を報告した光秀だったが、信長の家臣たちは京へ上洛するのに武具を身に付けないなどありえないと猛反発する。それに対して信長はこれは自分たちだけではなく義昭の意見を取り入れるべきだと告げる。その後信長と光秀は義昭の元へ行き上洛に対して丸腰でするべきかどうかと尋ねる。それを聞いた義昭はそれは素晴らしい提案だと喜びきっと京の住民もその様子を見て安堵するだろうと頷く。そして信長たちは丸腰で上洛をすることにする。
その後信長は光秀に今後は義昭の家臣として扱えばいいのか、または自分の家臣になるのかを今この場で決めるようにと迫る。そして光秀はそのことについてははっきり決まっていると言い、自分は義昭の家臣になると返答する。そして信長は残念だが仕方がない、今後はそのように扱うと告げその場を後にする。
第28話「新しき幕府」
1568年足利義昭が織田信長とともに上洛を果たした。そんな中三好一派が頼りにしていた足利義栄が摂津で病死した。
その後信長は勢いに乗じて摂津への戦を仕掛けて勝利する。そして多くの大名たちが義昭と信長を認め様々な献上品が届けられた。その後義昭は信長に政所である摂津春門に今後も引き続き業務を任せようと思っていると告げると信長は義昭がそう考えているのであればそれでいいと思うと返答する。しかし光秀や細川藤孝は時期を見て政所人事は一新するべきだと考えていた。
その後義昭は正式に朝廷から15代足利将軍の地位を与えられた。そしてそれを見届けた信長は一部の家臣を京に残して慌ただしく美濃へ戻っていった。しかしそれから3ヶ月もせず義昭が三好の軍勢に襲撃されるという事件が起こった。それに対して義昭はなんとか難を逃れたが、その後義昭襲撃のことについて激怒した信長が血相変えて京へ訪れる。そして信長は春門を激しく罵倒して、もはや春門たちには義昭を任せておけないと怒鳴り散らす。そして信長は2月の間に義昭のための城を作ると言い、春門たちにも汗水流してその城を作るのを手伝うように怒号を飛ばす。
その後信長と幕府により近隣諸国に呼びかけをして大工や資材などが集められた。しかし光秀は城作りの作業中に仏像すらも城の資材として使われているということに違和感を覚えていた。そんな中光秀の前に信長が現れるが、信長は仏像を資材として使っても何の問題もないと気にしない様子をみせる。更に信長は三好と義景が手を組んで攻めてこようとしていると言い先手を打って義景を討とうと思っていると告げる。それを聞いた光秀は難しい顔をする。そんな中義昭がその場を訪れる。そして義昭は城作りの様子を見てとても喜び信長に感謝を伝える。光秀はその様子をじっと眺めていた。
一方春門は家臣たちと信長の振る舞いについて怒りを感じていることを話していた。そして三好と義景が連絡を取り合っているということに喜んでいる様子を見せる。
第29話「摂津晴門の計略」
1569年、足利義昭の御所である二条城の築城が着々と進んでいた。そんな中光秀は腐りきっている幕府の内部を危惧していた。そして光秀はそのことを信長と話すが、信長は幕府内が腐っていることは知っているが自分が口を出すつもりはないと告げる。その後光秀は幕府内を取り仕切る摂津春門との対立を深めていく。
その後光秀は伊呂波大夫の元へ行くと伊呂波大夫は光秀に今の幕府は帝をないがしろにしているという話をして怒りを露わにする。そして光秀は伊呂波大夫と帝の御所行くが光秀は帝の御所が寂れた様子なのを見て大変驚く。その後2人は壊れた塀から帝の御所の中に入ると伊呂波大夫は自分の過去の話を始める。そして光秀はその話をただじっと聞いていた。
その後信長は約束通り2ヶ月で二条城を築城する。そして義昭は二条城を築城した信長に強く感謝する。その後信長は光秀を呼びつけると自分が美濃へ戻った後に光秀にも美濃へ来るようにと告げる。そして美濃で義景についての話が聞きたいと続ける。
その後信長は帝の御所の塀を修理して美濃へ帰る。
その後光秀は帝の御所を訪れ壊れた塀が直っているのを見て考え込んでいた。
第30話「朝倉義景を討て」
1569年、光秀は美濃の岐阜城へ行き信長と面会する。そして信長は光秀に義景との戦はこのままでは織田家だけで戦うことになるかもしれないがそれではとても義景とは戦えないだろうと悩みを打ち明ける。それに対して光秀は帝の勅命などがあれば義景を攻めることに対して諸大名も納得するだろうと告げる。それを聞いた信長は嬉しそうにするが帝が自分と会ってくれるのかと光秀に尋ねる。それを聞いた光秀は帝の御所の塀を直した信長であれば帝も会ってくれる可能性があるのではないかと返答する。
その後光秀は信長が城に呼んでくれていた熙子たち家族と再会する。そして光秀たち家族は久しぶりの再会を喜んで話を弾ませるが、そんな中熙子が自分たちも一緒に京に行きたいと告げる。それに対して光秀は頷き熙子たちを京へ呼び寄せることにする。
その後1570年、上洛した信長は帝に拝謁した。信長は本来帝に会える身分ではなかったが、帝は信長を破格の扱いをしたのであった。その後信長は光秀に会うと帝から都や畿内を平定するためなのであれば戦もやむを得ないとの勅命を受けたと告げる。
その後光秀は京で義昭たちに会っていた。そして光秀は信長から帝からの勅命である今回の戦に幕府も総出で参加してもらうと伝言があったと告げる。それに対して義昭たちは参陣を断る。そしてその話の中で光秀は義昭上洛の際に義景の嫡男が死んだときのことは三渕藤英の仕業だったことを知る。
その後信長は諸大名を集めて義景のいる越前を目指す戦を開始する。
第31話「逃げよ信長」
1570年、織田信長は帝の勅命を受けて朝倉義景のいる越前を目指した。そして信長の呼びかけに応じて諸大名たちが集まり、信長たちは若狭の国、国吉城へ入った。そして信長は集まった諸大名たちにこれから越前に向かい義景を討つと決意を語る。
その後信長は若狭から更に東に位置する敦賀へ兵を向けた。そして信長は手筒山城、金ケ崎城を落として敦賀を占領した。そして信長は妹の嫁ぎ先である浅井長政に背後の小谷城を任せて義景のいる一乗谷へ攻める方針を立てる。
しかしその後長政は信長を裏切って信長の背後をつくため兵を率いて金ケ崎城へ向かう。
その後信長たちは一乗谷攻め込むための軍議を行っていたがそんな中長政の裏切りを知った光秀がすぐに信長を呼び出す。そして光秀が長政の裏切りと退却を提案すると信長は苦渋の決断で退却することにする。そして光秀と豊臣秀吉が殿を引き受けることになる。その後光秀たちは激しい攻防を繰り広げながらも殿の任務を全うして信長たちが逃げるまでの時間稼ぎをする。
その後信長たちは無事城へ戻る。そして殿を務めた光秀たちも城へ戻る。そして光秀は信長と面会するが信長は今回の負け戦についてとても落ち込んでいた。そして信長は光秀に帝や帰蝶になんと報告すれば良いかと力なく呟く。それに対して光秀は信長が生きている以上今回の戦は負け戦ではない、次があると告げる。更に光秀は帝や帰蝶には負け戦ではないし生きて帰ってこられたことを報告すればいいだろうと続ける。それを聞いた信長は笑顔を取り戻す。
第32話「反撃の二百挺(ちょう)」
光秀は足利義昭と摂津春門に戦についての報告をしに行く。その後光秀が家に帰るとそこには美濃から京へ来た熙子たちの姿があった。そして光秀は家族が京に来たことを喜び久しぶりに一家団欒の時間を過ごす。
その後光秀は秀吉と共に鉄砲を仕入れるため今井宗久の元へ行く。そして光秀たちは宗久に鉄砲の仕入れを依頼するが、筒井順慶が先に宗久に鉄砲の依頼をしてしまっていた。そしてそのことを知った光秀達は順慶に鉄砲を譲ってくれないかと交渉すると無事交渉は成立して光秀たち鉄砲を仕入れることに成功する。
その後信長は金ヶ崎の戦いからわずか2ヶ月しか経っていなかったが徳川軍と共に近江へ出陣して朝倉、浅井両軍と戦った。そしてこの姉川の戦いで信長は勝利し朝倉、浅井両軍は自分たちの城へ逃げ帰った。
その後三好が兵を率いて京へ攻め登ってきた。そして信長は参陣した義昭と共に三好を迎え撃つ。そして信長たちと三好たちは摂津で戦になるが、この戦いで本願寺の一行衆が三好に味方をして信長たちは苦戦を強いられる。そんな中信長の苦戦を知り義景が兵を率いて京へ向かっていた。そしてそのことにより信長たちは正面に三好、本願寺そして後方には朝倉、浅井がいる状況となってしまう。それに対して信長は宿敵である義景に狙いを定め、摂津から兵を引いて近江へ向かい比叡山で義景と戦となる。
その後信長は朝倉、浅井と戦っていたが比叡山延暦寺の僧兵が義景を庇って戦っていた。そのため戦が思うように進まず信長は苛立ちを見せていた。
第33話「比叡山に棲(す)む魔物」
1570年、朝倉、浅井両軍は織田信長に対抗するため延暦寺の助けを借りて比叡山に陣を敷いた。更に信長は西には三好と本願寺一向宗、南には六角と長島一向宗に囲まれ窮地に立たされていた。そんな中光秀は朝倉家の家老である山崎と連絡を取り延暦寺へ出向くことにする。
その後光秀は比叡山延暦寺に出向いて久しぶりに朝倉義景と面会する。そして光秀は義景に和睦を提案するが義景は比叡山に陣を敷いた以上覚恕の意思に沿った行動しなければならないと告げる。そして光秀はどうしたら和睦ができるか聞くため覚恕に会うと、覚恕は光秀に信長が掠め取っている京の領土や権力を返せと険しい顔で言い放つ。
その後反信長勢である伊勢長島の一向宗が延暦寺の命令で尾張の小木江城に攻め入る。そして伊勢長島の一向宗は信長の弟である織田信興を討ちとってしまう。そして信長はこの戦から撤退を考え出すが光秀は足利義明に間に入ってもらって和睦をするのはどうかと告げる。それを聞いた信長は悩むが、少しして思いついたように帝に間に入ってもらえれば和睦ができるかもしれないと呟く。
その後帝は信長の頼みを聞いて和睦の仲裁に入ることにする。そして朝倉、浅井、延暦寺、織田は帝の勅命により和睦することになる。そしてその条件として信長は朝倉、浅井、延暦寺の要求を聞き入れることになる。そして和睦は成立し各大名が自分たちの城へ帰る。
その後信長は伊勢近江の一向宗を鎮圧すると比叡山の麓に陣を敷き朝倉、浅井の背後にいる比叡山を討つための準備を始める。そして信長は家臣たちに比叡山にいるすべての者を打ち果たせと命令する。
その後織田軍は比叡山で僧兵、女子供など全ての者を切り捨てる。そして比叡山は修羅場と化す。そんな中光秀は自分の家臣には女子供を逃がすように命令する。
第34話「焼討ちの代償」
1571年、織田信長は比叡山延暦寺を攻め僧兵やそこに住む人々を男女関係なく皆殺しにした。しかし覚恕は比叡山から逃げ延びていた。そんな中光秀の軍勢だけは女子供は手をかけず逃していた。その後信長は光秀に比叡山の戦は光秀が一番手柄だと言い滋賀一帯2万石の領土を光秀に与えると告げる。
その後光秀は足利義昭が松永久秀と大和の国を争っている筒井順慶に力を貸そうとしていることを知る。そして義昭が順慶の味方をして信長が久秀の味方をした場合は義昭対信長という構図になっていくことを心配する。
そして光秀は順慶に会って話をする。更に光秀は久秀も呼び出し久秀も懸命に説得する。そして久秀と順慶は和睦の話をすることになる。
その後光秀は信長と面会して久秀と順慶が和解をしたと報告する。それを聞いた信長はこれで久秀と戦わずに済んだと喜ぶ。それに対して光秀は信長に久秀を討つつもりだったのかと尋ねると、信長は帝がいる京を安定させるためには義昭と対立するわけにはいかないと返答する。それを聞いた光秀は義昭のためではなく帝のために久秀と戦うつもりだったのかと尋ねると、信長は義昭が言っている事は的外れだしもはや相手にしていないと返答する。
一方甲斐の国に逃げ延びた覚恕は武田信玄に信長に全てを焼きつくされたと嘆いていた。それに対して信玄は覚恕に後は自分に任せてほしい、自分が信長を討ち滅ぼすと意気込みを語る。
第35話「義昭、まよいの中で」
1571年、比叡山の戦で1番手柄を上げた光秀は信長から近江の国滋賀を与えられ、琵琶湖のほとり坂本に新たな城を建てようとしていた。
そんな中摂津春門は足利義昭の茶会で光秀を討つ計画を立てる。そして光秀は義昭の茶会に出向くがその際屋敷に細川藤孝が現れて光秀にこの茶会で春門は光秀を討つつもりらしいと告げ茶会には参加せず逃げるようにと忠告する。それを聞いた光秀は藤孝に礼を言うと義昭に会うため屋敷の奥へ進んでいく。
その後光秀は屋敷で春門の家臣に襲われ傷を負いながらも何とか義昭の部屋までたどり着く。そして義昭は人払いをすると光秀と義昭は二人きりとなり昔話をする。そして光秀はそろそろ古き者は取り払うべきではないかと言い春門を切る時が来たと告げる。それに対して義昭は迷うが最終的には光秀の説得に応じることにする。そして義昭は三渕藤英を呼び寄せると春門を捕えるように命令する。その後藤英は藤孝の家臣を連れて春門の元へ行くと抵抗する春門を捕える。
その後光秀は伊呂波太夫の元へ行く。そして光秀は伊呂波太夫に帝の話を聞きたいと言うと、伊呂波太夫は帝のことが知りたいのであれば帝に仕える三条西真澄を紹介しようと告げる。そして光秀は伊呂波太夫と共に真澄の元へ行くことにする。その後光秀は真澄と面会する。
その後真澄は帝の元へ行くと帝は光秀が真澄の元を訪れたことを知っていた。そして帝は真澄に光秀はどんな人物かと尋ねると真澄は光秀の印象を語るがその様子を見て帝は真澄が光秀では気に入ったのであろうと告げる。そして帝は真澄に機会があれば光秀を御所へ連れてくるようにと命じる。
その後光秀の家に伊呂波太夫が現れる。そして伊呂波太夫は光秀に真澄が自分のお供で帝の御所へ連れて行くと言っているが一緒に行きたいかどうかと聞いてこいと言われたと告げる。それに対して光秀は真澄のお供で御所へ行くことにする。その後光秀は真澄の家で御所へ行くための支度をする。
第36話「訣別(けつべつ)」
1572年、光秀は三条西真澄のお供として帝の御所へ出向く。そして光秀は帝と会う事はできなかったが扉ごしに会話をすることができた。そして光秀は帝からの何を目指しているのかという質問に対して太平の世を目指していると返答する。それを聞いた帝は自分もそれを目指しているが険しい道だと返答する。続けて帝は光秀の名前を覚えておくと告げると光秀はこれ以上にない喜びといった表情を見せる。
その後光秀は家で熙子に帝に会ってきた話をしていた。そして帝はとても素晴らしい人物だったと告げる。更に光秀は織田信長が帝に惹かれるのもわかるしすでに信長は将軍を中心として世の中を作っていくという事を諦めているのかもしれないと続ける。そして熙子はその話をただ静かに聞いていた。
その後光秀は完成した坂本城を熙子に最初に見せたいと言い熙子と2人で坂本城へ向かう。そして光秀は熙子に坂本城の案内をする。そんな中光秀は足利義昭が人質として熙子たちを京へ残せと言っているが自分はなんとしても熙子たちを坂本城へ連れて行くと告げる。それを聞いた熙子は今光秀は信長と義昭とどっちに心が傾いているのかと尋ねる。それに対して光秀はどちらも重要だしどちらかだけを選ぶことはできないと告げる。
その後義昭は諸大名を集めて松永久秀討伐のため出陣する。その中には信長の兵士もいたが信長自身は戦に参加しなかった。その後この戦で義昭は久秀を捕えることができず久秀は逃げ延びる。
その後甲斐の武田信玄は義昭の再三にわたる上洛の意向を汲んで京へ上洛することにする。そしてまず信玄は三方原に出て徳川家康と対峙する。そして信長は家康の援軍依頼に応じて援軍を出すが家康は三方原の戦いで信玄に敗れてしまう。
その後光秀は信長から義昭との関係が悪化しているから献上品を義昭に渡してほしいと頼まれる。そして光秀は義昭に献上品を届けるが義昭は信長からの献上品は受け取れないと告げる。そして義昭は信長と戦うことにしたと告げると光秀はとても驚き信長と戦うことは何とか考え直してほしいと懇願する。しかし義昭はもう決めたことだと返答し光秀にも自分たちの軍勢に加わってほしいと告げる。それに対して光秀は信長と戦うことはできないと告げ涙ながらにその場を後にする。
その後1573年義昭は畿内の大名を集めて信長と戦うために出兵した。
第37話「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」
1573年、足利義昭は諸大名と共に織田信長を討つための兵を上げる。そして武田信玄は三方原の戦いで徳川家康を打ち破り京へ向かっていたが、その後信玄は突如甲斐の国へ引き返す。そして義昭は宇治の槙島城に陣を構えていたが信長を倒すため共に戦うはずの朝倉、浅井は一向に姿を表さず信玄も義昭の陣へ来る事はなかった。そして義昭は信長軍にあっさり負けて豊臣秀吉により捉えられてしまう。そして義昭は宇治の枇杷荘に幽閉される。
その後義昭が出陣している間二条城を守っていた三渕藤英が投降する。そして藤英は光秀に自分は負けで光秀は勝ったのだと告げる。それに対して光秀は自分と藤英の間に勝ち負けはない、あるのは紙一重の立場の違いだけだと返答し今後は自分に力を貸してほしいと頭を下げる。それを聞いた藤英は何も答えようとしなかった。
その後信長は武田信玄が三方ヶ原の戦いの後死んだことを知る。その後浅井の重臣が信長に寝返る。それを機に信長は近江へ出陣して朝倉、浅井両軍と戦を始める。そしてこの戦いで信長は朝倉義景は討ち朝倉家は滅亡する。その後信長は小谷城へも攻め込んで浅井家にも勝利して浅井家を滅ぼす。そして240年続いた室町幕府はついに倒れ、群雄割拠の乱世は信長による新しい時代を迎えようとしていた。
その後義昭達と共に信長と対立していた松永久秀が信長に許し求めてくると信長は多聞山城と引き換えに許すことにする。
そして信長は自分の権力を知るため大きなことを成し遂げた者だけが見ることができるといわれる蘭奢侍の拝謁と切り取りをしようと考える。そして信長はその旨帝に願い出ると帝は許可をする。そして信長は蘭奢侍切り取りの儀式を執り行う。そして信長は切り取った蘭奢侍を見て大変喜ぶ。その後信長は蘭奢侍を2つに分割して1つは帝に献上する。しかし帝は信長からもらった蘭奢待を信長と敵対する毛利にあげてしまう。
その後急遽藤英の居城が信長によって取り壊しになり藤英の身柄は光秀の坂本城で引き受けることになった。そして光秀は藤英に今回の事といい時折信長が何を考えているのかよくわからなくなると告げる。それに対して藤英は上の者が何を考えているかわからない時にどのような行動をするのかが部下の裁量だと告げる。そして藤英は坂本城は良い城だなと言って坂本城からの景色を楽しむ。
第38話「丹波攻略命令」
1574年、光秀の元に織田信長から書状が届く。その内容は三渕藤英が足利義昭と信長を討とうと計画を立てている証拠が見つかったため藤英に切腹を命じるというものだった。そして光秀が藤英に事実を確認すると、その出来事は事実だと判明する。そして光秀は藤英に信長に頼み込んで切腹は回避すると言うが藤英はもう既に覚悟は決めていると言い武士の情けは要らないと告げる。その後藤英は切腹する。
その後光秀は三好と一向一揆衆を畿内から駆逐するために河内の国へ攻め入った。そして光秀は城を攻め落とす。その後信長は光秀を呼び出すと光秀に反勢力はかなり潰したがまだ手付かずの丹波の国を攻め落としたいと告げる。そしてその役目を光秀に任せると続ける。そして光秀は了承する。
その後信長は朝廷出向いていた。そんな中二条晴良は三条西真澄と信長を呼び出すと、晴良は信長たちに帝が上皇になることについてどう思うか尋ねる。それに対して信長はそれが帝の為であるのであればいいと思うと告げる。その後真澄は帝と話をしていた。そして帝は晴良が自分を上皇としようとしていることについては晴良が少し焦っているのではないかと疑問視する。それに対して真澄は晴良はこの機会にもっと信長と近づきたいと思っているのではと返答する。
その後光秀は丹波にいる近衛前久に会いに行く。そして光秀は前久から丹波の情勢と信長と丹波が争いとなった場合に最終的にどちらにつくのかという質問をする。それに対して前久は元々信長は嫌いではないが信長が晴良とくっついているからこういう状況になっていると告げる。そして何かあれば信長につくと続ける。更に前久は丹波については一に戦、二に戦で戦でしか丹波は収まらないだろうと告げる。
その後光秀は戦以外の道を探ってみるがやはり戦以外で丹波を攻略するのは難しいという結論に行きつく。そして光秀は出陣して丹波の国攻略に乗り出す。
第39話「本願寺を叩け」
1575年、将軍足利義昭を追放した織田信長は幕府に代わり畿内を掌握し始めた。しかし反信長勢力は各地に残っていた。そして信長は顕如率いる本願寺を攻略するため5年にも続く戦いを続けていた。そんな中信長は朝廷から権大納言、右大将という武士には異例ともいえる高い官職をもらう。
その後信長は岐阜に戻り次の戦支度にかかっていたが、朝廷は信長が京を離れたことに不満を抱いていた。それに対して信長は嫡男の織田信忠に家督を譲って京のことを任せることにする。その後信長は近江の安土に城を築き始める。そして政の中心を安土へ移す。
その後信長たちは本願寺と熾烈な戦いを繰り広げていた。しかし信長は本願寺攻めが進んでないことにいら立ちをみせていた。そんな中負傷した光秀は砦の中で倒れてしまう。
その後光秀は自宅で治療を受けて容態は回復する。その後光秀の家に信長が現れる。そして信長は光秀に本願寺の背後にいる毛利を叩こうと思うと告げる。それを聞いた光秀は良い案だと思うと返答する。更に信長は現在大和の国の大名の座が空いているが筒井順慶に任せることにしたと告げる。
その後熙子が病を患ってしまう。そして熙子の体は日に日に弱っていく。そんな中光秀たちは必死に熙子の看病をする。しかし熙子の病状は治らずにいた。そしてある夜光秀と熙子は出会ってからのことやこれまでの越前や京での暮らしについて語らっていた。そして熙子は光秀こそが麒麟を連れてくる人物ではないかと思っていると告げる。そして2人は静かに思いの丈を語っていたがそんな中熙子は光秀の腕の中で静かに息を引き取る。
第40話「松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも)」
1577年、織田信長と本願寺の戦は7年にも続いていたがそんな中信長陣営である松永久秀が突如陣から逃亡した。
その後光秀は京で久秀と会う。そして久秀は信長と共に戦いずっと大和の国を任せてもらえると思っていたのに蓋を開けてみれば大和の国を任されたのは筒井順慶だったと告げ、そのことが許せず信長を裏切って本願寺へつくことにしたと告げる。それを聞いた光秀は久秀を説得しようとするが久秀の決意は固かった。そして久秀は自分にもしものことがあったら信長が欲しがっている名器平蜘蛛を光秀に託すと告げる。
その後久秀は大和の信貴山城で挙兵し、本願寺や上杉謙信と共に反信長の戦いに加わった。それに対して信長は嫡男である織田信忠と大軍を大和へ送った。その後久秀は戦に敗れると城と自分の持っている茶器に火をかける。そして久秀は切腹をする。
その後光秀は信長に呼び出されて信長の元へ行く。そして光秀は信長に戦になる前、光秀が密かに久秀と会っていたことを知っているが平蜘蛛のありかを知らないかと聞かれる。それに対して光秀は戦前に久秀と会ったが平蜘蛛の事は話に出なかったと返答する。そして光秀がその場を後にすると信長は光秀が自分に初めて嘘をついたと激怒する。
その後光秀は家に帰ると伊呂波太夫が現れ、伊呂波太夫は光秀に平蜘蛛を渡す。そして平蜘蛛を受け取った光秀は伊呂波太夫に信長に平蜘蛛のことを聞かれたがなぜか平蜘蛛のありかは知らないと言ってしまったと告げる。そして光秀は平蜘蛛を手に取りじっと見つめるとこれは久秀の罠だと笑い始める。それに対して伊呂波太夫は久秀からの伝言で平蜘蛛ほどの名器を持つ者は気品と覚悟を持たなければならない、そして自分にはそれがなくなってしまったのかもしれないとの言っていたと聞かされる。それを聞いた光秀は落ち着きを取り戻し平蜘蛛を見つめる。
そして伊呂波太夫がその場を後にしようとすると光秀は伊呂波太夫に丹波攻略が終わったら帝に会いに行く、そして帝が今の世の中と信長についてどう思っているのかを尋ねようと思っていると告げる。それを聞いた伊呂波太夫はその旨三条西真澄に伝えておくと告げる。
第41話「月にのぼる者」
1577年、織田信長から離反する者が出る中、将軍足利義昭は信長を討つべしと諸大名に手紙を書き続けていた。そんな中丹波攻略を続けていた光秀は苦戦しながらもなんとか城を攻め落とす。そして捕えた国衆は許し田畑の回復など領土の復興を進めるように告げる。
その後光秀の家に豊臣秀吉が現れる。そして光秀は秀吉に平蜘蛛のことを信長に隠した一件をすべて信長に話しただろうと告げる。それに対して秀吉はまさか光秀が久秀と接触すると思わず信長に隠しておこうか迷ったが最終的には信長に言った、申し訳ないと告げる。更に秀吉は光秀の家にいた菊丸を只者ではないと思うと勘ぐっていることを光秀に忠告する。
その後光秀は菊丸と会う。そして光秀は菊丸に三河の徳川家康の忍なんだろうと告げる。それを聞いた菊丸は言葉を濁すが光秀はもう隠す事はないと続ける。そして光秀は菊丸にはこれまでたくさん助けてもらったし感謝をしていると告げると秀吉が菊丸を疑っているから京から逃げたほうがいいと忠告する。その後菊丸は早々に京を離れようとするが秀吉の追手が菊丸を襲う。そして菊丸は何とか秀吉の追手から逃げ切り京を後にする。
その後光秀は信長の元へ行く。そして光秀が信長と面会するとそこには近衛前久がいた。そして前久は自分も今や信長の手駒の1人だと告げる。そして自分は早く京へ上洛したいが二城晴良が自分の上洛を嫌がっていて信長も晴良に対してはあまり強く出てくれないと恨み節を呟く。そして前久はその場を後にする。
その後光秀は信長に自分は平蜘蛛を知らないと嘘をついてしまったがこれは久秀を討った証として信長が持つべきだと信長に平蜘蛛を献上する。更に光秀は平蜘蛛を持つ者は覚悟と気品が必要でそうしたものを持てば皆が信長についていきひいては大きな国を作ることができて太平の世を迎えることができるだろうと告げる。それを聞いた信長は平蜘蛛をまじまじと見てそれだけの品なのであれば平蜘蛛を売れば一万貫にはなるだろうと笑い、平蜘蛛を売ることにすると告げる。それに対して光秀は平蜘蛛を売ってしまうのかと呟き驚いた表情を見せる。
その後光秀は三条西真澄の家にいた。そして真澄は光秀に信長は朝廷も帝も軽く見すぎていると告げる。その後光秀は帝と真澄と共に月見をしていた。そして帝は光秀の前に姿を現し月についての話をする。更に帝は光秀に共に信長が道を間違えないように見守っていこうと続ける。それを聞いた光秀は頷く。
その後たまは細川藤孝の嫡男に嫁ぐ。
第42話「離れゆく心」
1578年、織田軍播磨攻めの副将である有岡城城主の荒木村重が織田信長を裏切って毛利方に寝返り城へ立て籠もった。そして光秀の娘であるお岸は村重の子どもに嫁いでいた。そんな中光秀と豊臣秀吉は有岡城へ出向き村重の説得をしようとする。しかし村重は信長のやり方にはもうついていけないし信長の将軍に対する扱いに対しても許すことができないと告げ光秀たちの説得に応じることはなかった。
その後光秀は足利義昭に会いに行くことにする。そして光秀は義昭に信長を説得するから京へ戻って来てほしいと告げる。それに対して義昭はかつて兄の足利義輝は三好の誘いを受けて京に戻ったがただの操り人形となり最後は殺された告げる。続けて義昭はここにいれば殺される事はないし、そもそも自分は信長のいる京へ戻るつもりはないと告げる。更に義昭はもし光秀の京であったなら戻ってもよかったんだがと返答する。
その後光秀の家にお岸が戻ってくる。そしてお岸は今回の信長と村重が対立したことでお岸は荒木家を離縁となり家に戻ってくることとなったと嘆く。それを聞いた光秀は自分の力足らずで村重を説得できずにこうなってしまったことを申し訳ないと謝る。
その後信長は有岡城攻めを決定する。そして信長は家臣たちに今回の戦で有岡城に立てこもる荒木勢を女子供関係なく皆殺しにせよと命じる。それを聞いた光秀はそれでは人がついてこないし、各地で起こっている造反軍も止めることができないと反論する。しかし信長は各地の造反軍はそれぞれ和睦を進めたり攻略を進めているから安心しろと返答する。
その後光秀は家康に呼び出されて家康と会う。そして家康は光秀に信長が家康の嫡男である徳川信康とその母親が武田家と繋がっているから殺せと命令してきたと告げる。続けて家康は信長の理不尽なやり方に家臣たちは不満を抱いているし、自分も信長に疑問を抱いていると告げる。
その後光秀は信長の元へ行く。そして光秀は信長に会うと信長に信康の件を確認するが信長は事実だと告げる。それに対して光秀はそんなことをすれば三河の人間から恨まれるし家康が村重の二の舞になる可能性だってあると告げる。それを聞いた信長は大声で家康が裏切るのであれば成敗するだけだと返答する。それを聞いた光秀は言葉を失う。
その後信長は光秀が帝と会ったことを言及して、光秀が帝とどんな話をしたのか尋ねる。それに対して光秀は帝との会話は他の人に話さないよう朝廷に命じられていると告げると信長は自分にも話せないのかと怒りだす。そして信長は帝を変えようと言い出し、光秀に丹羽をあと1年で攻略しろと命令する。続けて信長はもし光秀が一年で丹波を攻略できない時は自分にも考えがあると告げ光秀を帰らせる。
第43話「闇に光る樹」
1579年、光秀と細川藤孝は丹波の平定に成功する。その後光秀たちは信長に丹波平定の報告をしにいくと信長は丹波平定を喜ぶ。しかしそんな中信長は光秀が許してあげてほしいと願い出た降伏した丹波の武将の首を光秀たちに見せつける。それを見た光秀たちはとても驚いた表情をする。
その後信長は帝の譲位を進めようとしていたが、そのことには光秀を始め藤孝や豊臣秀吉が武士主導の譲位を進めるべきではないと考えていた。しかしそれでも信長は強引に帝の嫡男である東宮を御所から二条の新たに作った住まいに移住させてしまう。
その後1580年、本願寺の顕如がついに降伏して信長に大阪を明け渡す。しかしその後信長は本願寺攻めの総大将である佐久間信盛の働きを認めず信盛を追放してしまう。
その後光秀は悪夢にうなされ眠れない日々が続いていた。その内容は月に向かって伸びている大木を光秀が落とそうとしているがその大木は信長が登っていてもし大木を落とせば信長が死ぬと分かっているがそれでも光秀は大木を切り落としているという悪夢だった。
その後光秀は京へ訪れていた帰蝶と会う。そして光秀は帰蝶に今の信長について斎藤道三だったらどう思うだろうかと尋ねる。それに対して帰蝶は今の信長であれば父はきっと信長を毒殺するだろうと告げる。
その後織田軍と徳川軍は甲斐の武田勝頼を討ち取り甲斐の国を平定する。そして信長や家康は甲斐平定をとても喜ぶ。その後信長は家康を安土城へ招いて宴を開くことにするが、家康はまだ信長を信頼しきれていないため光秀に宴会を取り仕切ってほしいと頼み込む。そして光秀はその旨を受け了承する。しかし信長は自分が家康に信頼されていないことに気がついていて、更に光秀と家康が親密な仲でいることに不信感を抱いていた。
その後宴会が始まると信長は宴会に難癖をつけて光秀を家臣たちの前で叱りつける。それに対して家康は自分は気にしていないから大丈夫だと告げるが、信長はそれでは自分の顔が立たないと言い光秀に対して声を荒げる。そして光秀は信長の傍若無人な振る舞いに険しい顔になる。
最終回「本能寺の変」
1582年、宴会を仕切っていた光秀は宴会の席で織田信長に激しく罵倒される。そして光秀は宴会の仕切り役を降ろされる。その後光秀は信長に呼び出されるが、信長に本気で怒ったわけではなく徳川家康の忠誠心を見たかっただけだから気にするなと告げられる。そして信長は光秀に豊臣秀吉の応援要請に応じて早く出陣欲しいと言い、光秀が反対をしていた四国攻めを決めたと告げる。更に信長は光秀の今回の役目は足利義昭を討つことだと続ける。しかしそれに対して光秀は義昭は殺せないと返答し信長の命令を断ってしまう。
その後光秀は信長は変わってしまったと言い、出会った頃の信長は民や家臣のことを考える優しい人物だったが今の信長はそうした心を失ってしまったと告げる。それを聞いた信長は自分を変えたのは光秀だと言い、光秀が大きな世を作れ作れというから自分はこうして戦ってきたんだと告げる。そして信長はもし光秀が義昭を討たないのであれば自分が直接義昭を討つと告げる。更に信長は帝も譲位させて盤石な体制を築いて大きな世を作るんだと決意を語る。それに対して光秀は驚きの表情を隠せずにいた。
一方近衛前久は蹴鞠大会に一緒に参加していた細川藤孝と信長と光秀の仲がおかしくなっていることについて話をしていた。そして前久は藤孝にもし光秀と信長が対立した場合はどちらにつくのかと尋ねる。それに対して藤孝はそうならないことを願うばかりだと返答する。その後前久は帝の元を訪れる。そして前久は帝にもし光秀と信長が対立するようなことがあれば帝はどちらを支持するのかと尋ねる。それに対して帝はそうなった場合自分は見守るだけだと返答する。
その後光秀は藤孝と会う。そして光秀は藤孝に信長から義昭を討てと言われたが断ったと告げる。更に光秀は藤孝に義昭には手を出さないよう信長を説得するつもりだが藤孝も一緒に説得してくれるかと尋ねる。それに対して藤孝はどちらとも言えない返事をする。その後藤孝は光秀の家を出ると秀吉に光秀が信長を裏切るかもしれないという手紙を送る。そして藤孝からの手紙を受け取った秀吉はもし光秀が信長を裏切るのであればそれも良いと考え、近くにいた黒田官兵衛に毛利攻めを即刻止めてすぐに京へ戻ると告げる。
その後光秀は本拠地の丹波で1人でひたすら考え込む。そして光秀は信長との会話を思い出し、更に自分の目指すべきものを突き詰める。そして光秀は信長を討つ決意をする。そして6/1の夜、光秀は亀山城を出発して信長のいる本能寺へ向かう。その後光秀は6/2の早朝に本能寺を取り囲む。そして光秀は号令をかけて本能寺へ兵を突入させる。
その後騒ぎに気づいた信長は本能寺に攻めてきた兵の旗印を確認する。そして信長は桔梗紋の旗印を見て光秀が兵を挙げて自分を攻めてきたと知る。その後信長は目に涙を浮かべて攻めてきたのは光秀かと呟く。そして信長は是非もなしと告げると武器を手に取り蘭丸を連れて光秀の兵と戦い始める。しかし信長は敵兵の多さに押し負けて深傷を負ってしまう。その後信長は一室に籠ると蘭丸たちに部屋に火をかけて自分の首を渡さないようにと命じる。そして蘭丸たちは信長の命令に従って信長のいる部屋に火をかける。そして信長は健やかな顔で燃え盛る部屋の中で佇む。その後信長は燃え盛る本能寺で最後を迎える。
そして本能寺の外にいた光秀は燃え盛る本能寺を眺めながら目に涙を浮かべる。そして光秀はこれまでの信長との出来事を思い出していた。その後光秀は勝鬨を上げて本能寺を検分する。そして信長がいたとされる燃え尽きた部屋を確認するが、部屋は焼失が酷く信長の姿を確認することはできなかった。しかし光秀はもう十分だと言い本能寺の外に出る。その後光秀の前に伊呂波太夫が現れる。そして光秀は伊呂波太夫に駒に麒麟がくる世の中を作ると伝えてほしいと今後の意気込みを語りその場を後にする。そしてこの日光秀は天下を取った。
その後信長討った後光秀に味方するとされていた武将たちが沈黙を貫く。そして光秀はそんな中いち早く引き返してきた秀吉と戦となる。そして光秀は秀吉との戦に敗れてしまう。
それから3年経った1585年、秀吉は天下を収めていた。そして秀吉は関白になっていた。
その後駒は義昭の元を訪れる。そして駒は義昭に光秀が密かに生きているという噂を聞いたと告げる。その後駒は街中で光秀によく似た人物を見かける。そして駒はその人物の後追うがその人物を捕まえることができず見失ってしまう。
その後馬を走らせる一人の人物がいた。
主な登場人物
下記の項目画像は[AMC]からの引用になります
明智光秀(長谷川博己)
美濃の斎藤道三の配下で明智城を守る青年。知力と行動力を持ち合わせ、国境で外敵や野盗など国の脅威と戦っている
斎藤道三(本木雅弘)
美濃の戦国大名で光秀の君主。父子2代で油商人から大名に成り上がった成り上がり者として馬鹿にする者もいるが、国を治めるだけの知力と政治力を持っている。また別名で美濃の蝮(マムシ)とも呼ばれている
斎藤義龍(伊藤英明)
斎藤道三の長男だが正室の子でないことに負い目を感じている。また道三からはぞんざいに扱われることも多く、そのことに対してもよく思っていない。しかし周りは義龍に期待をする者が多く、義龍はその声にも応えて自分がトップになり変わるべきではと思い始める
望月東庵(堺正章)
小見の方を診てもらうため光秀が美濃へ連れてきた京の医者。医師としては確かな腕を持っているが、ギャンブルが好きでそのことが元で信秀に10貫の借金をしているほどのギャンブル狂。
駒(門脇麦)
東庵の助手で、東庵と共に小見の方の治療のため美濃を訪れていた。戦災孤児だが、戦災の際助けてくれた人が美濃に伝わる話をしてくれたため、自分を救ってくれた人は美濃の人ではないかと考えている
細川藤孝(眞島秀和)
将軍の護衛の一人で三淵藤英の弟。性格は藤英とは違って感情型だが、将軍を何より立てて忠義を尽くし、以前の敵である久秀のことも率先して救おうと考え行動するほど人情家。光秀をとても気に入っている
明智光安(西村まさ彦)
光秀の叔父で明智城の主。光秀とは本当の親子のように真摯に接していて光秀、牧ともに良好な関係を築いている。しかし上司である道三には難題を申しつけられて困らされていることがしばしばある。また小鳥を飼っていて可愛がっている
帰蝶(川口春奈)
道三の娘で義龍の妹。光秀とは幼馴染で昔一緒に光秀の家で生活していたこともあった。そのため光秀とは仲がよく、お互いに気の許せる間柄となっている。そして帰蝶は斎藤家と織田家の和睦のため尾張へ嫁入りして信長の妻となった
織田信長(染谷将太)
信秀の嫡男で周りからはうつけものと言われている。漁に出て村人のために魚を格安で売っていたかと思えば、ひそかに弘忠を暗殺するなど自分の思うがままに行動している。そんな信長は織田家と斎藤家の和睦のため帰蝶と結婚した
竹千代(岩田琉聖)
三河の若君で後の家康。織田家に人質として囚われているが毅然とした態度で日常生活を送っている。そんな竹千代は信勝を毛嫌いしているが信長のことは慕っている。また父である弘忠を暗殺した信長に自分のことを父の死で気遣いしないようにと進言するほど達観している
足利義輝(向井理)
将軍の座にありながら権威を利用され、家臣による内紛が続いて都落ちすることもある。しかしそんな中でも忠臣に支えられ世の中の平和を願って将軍職を全うしている。そして幕府の権威回復を目指している
織田信秀(高橋克典)
尾張の大名で織田信長の父親。近隣諸国にも名前は知れ渡り、美濃の道三や駿河の今川をけん制しつつ尾張の発展に尽力していた。しかし戦での矢傷が元で体を悪くして志半ばで信長に家督を譲ってこの世を去る
土岐頼芸(尾美としのり)
源氏の血を組む土岐家の人間で美濃の守護。骨肉の争いが絶えない土岐一族の中で道三の力を借りて守護の座まで上り詰めたが、道三に実権を奪われ道三を憎んでいた。そして道三を暗殺しようとするが失敗し、美濃から出ていくこととなる
深芳野(南果歩)
道三の側室で義龍の母親。以前は土岐頼芸の元にいた。義龍が家督を継ぐことを強く願い、暴走しがちな義龍をなだめては義龍のことを第一に考えていた。そんな深芳野は酒を飲んで屋敷からいなくなった後に川辺で死亡しているところを発見される
斎藤孫四郎(長谷川純)
道三の次男で義龍と帰蝶の弟。義龍が家督を継いだことを納得しておらず、義龍から家督を奪おうと画策していた。しかしそのことで義龍の怒りを買い殺されてしまう
煕子(木村文乃)
妻木氏の娘で光秀の幼馴染。光秀と結婚をして明智家へ嫁いできた。常に光秀を立てつつ光秀のことを支えている
藤田伝吾(徳重聡)
光秀の家臣で農民と武士を兼業していた。光秀が美濃を出ていくことになったため刀を置いて農民に戻ることを決め、美濃を出ていく光秀を泣く泣く見送ることにする。しかしいずれ光秀達が美濃の地に戻ってきたときのために、田畑を光秀達が出ていく前と変わらない形にして守っておくと誓う
織田信勝(木村了)
信秀の息子で信長の弟。信長と違い母である土田御前の寵愛を受け、更に信秀からは主要な重臣を引き継いだ。そんな信勝は斎藤家と手を結び信長に謀反を起こそうとするが、そのことが信長にバレてしまい、信長の目の前で自害することとなる
土田御前(檀れい)
織田信秀の正室で信長と信勝の実母だが、信長を邪険に扱い信勝だけを可愛がっていた。そして信秀の死亡後は信勝に多くの遺産が渡るように画策もしていた。そんな土田御前は信長が信勝を返り討ちにした際、それでも信長を罵倒し激しく責め立てあくまで信長を拒絶する態度をみせる
朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)
越前を治めている大名で光秀を匿ってくれた人物。そして義景は野心はあまり持っておらず、争いを嫌い、日々の暮らしを楽しむ性格の持ち主。そんな義景は真剣に仕官してきた光秀に対して蹴鞠を優先し約束をすっぽかしてしまう。そしてそのことで光秀は義景に呆れて義景への仕官を止めてしまう
今川義元(片岡愛之助)
駿河の大名で尾張をずっと狙っていた人物。海道一の弓取りといわれ大きな勢力を誇っていたが、桶狭間の戦いで信長率いる織田軍に敗れて討ち死にする
近衛前久(本郷奏多)
朝廷の関白で帝に政を進言することができる立場にいる人物。伊呂波太夫とは子どもの頃からの付き合いで伊呂波太夫を姉のように慕っている
三好長慶(山路和弘)
畿内で絶大な力を持ち、将軍を実質上傀儡としていた。家臣である松永久秀と共にその圧倒的力で周辺諸国に睨みを効かせて収めていたが1564年病に倒れて死去した
足利義輝(向井理)
足利13代将軍で太平の世を夢見て尽力した。しかし晩年は家臣の進言を聞かずに思いのままに振る舞うようになり、家臣達の心が離れてしまう。そして永禄の変にて撃たれて30年の生涯に幕を降ろした
朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)
朝倉家の領主で越前を収めている。抜けているところがあるようにも見えるが意外に考えた行動していて光秀の動きにも気を配っている。しかし嫡男にはとても甘くしている様子が見受けられる
山崎吉家(榎木孝明)
朝倉義景の家老。朝倉家のことを考えて動いているが基本的には国内のことのみに政治や力を向けている。そのため朝倉義景が上洛をしようとしていることをよく思っておらず、最終的に朝倉義景が上洛ができなかったことを喜ばしく思っている
今井宗久(陣内孝則)
堺でとても強い力を持つ商人で会合衆にも影響力を持っている。元々は自分たちの商売のため三好一派に力を貸していたが、信長上洛の際には堺を守り京を戦場にしないのであれば信長たちに協力すると誓いそして実行した
摂津春門(片岡鶴太郎)
幕府の政所を仕切っているが腐敗した幕府の中枢にいる人物でもある。そして成り上がり者の信長に指示や罵倒されることに強い怒りを覚えていて信長への反抗心を持っている
近衛前久(本郷奏多)
元関白で第14将軍足利義栄を推薦したことで関白から失脚することとなった。その後は京を離れ身を隠しながら再起の時を伺っている
正親町天皇(坂東玉三郎)
京にいて人々の象徴であり、その立ち位置は将軍である足利義昭よりも上だと認識されている。そのため帝からの勅命ということで信長の元に諸大名が集まることになった。また東庵とは顔なじみで囲碁をする関係
柴田勝家(安藤政信)
信長の家臣で重要な立ち位置にいるが秀吉など他の武将に対しては高圧的に振る舞うこともある。しかし光秀には一目を置いていて、秀吉の殿働きを認めようとしなかった勝家が光秀からの一喝で秀吉の殿働きを認めた
筒井順慶(駿河太郎)
松永久秀と大和の国を争っているが信長や光秀のことを認めていて2人と近づきたいと思っている。そして光秀から鉄砲の件を交渉された際に2人と近づくことに成功する
覚恕(春風亭小朝)
帝の弟で朝廷の跡目争いを避けるため比叡山延暦寺に出家した。兄である帝には強いコンプレックスを持ち、そのため金と権力を集めることに執着した。そして覚恕は金と大きな権力を持ったが、それを掠め取ろうとする信長を毛嫌いしていて信長との対立を深めている
明智光秀(長谷川博己)
幕臣として義昭に使えているが信長とも良好な関係を築いている。また様々な武将から一目置かれる存在で各所で活躍をしている。そんな光秀は幕府と信長が対立するの心配して何とか間を取り持とうと懸命に動いている
三条西真澄(石橋蓮司)
帝に仕える人物で万葉集、古今和歌集など様々な書物に通じている。伊呂波太夫を通じて光秀と知り合うことになるが光秀の人物性に興味を持ち、気にいっている様子を見せる。そして帝と光秀を繋ぐことにする
武田信玄(石橋凌)
甲斐の国の大名でとても絶大な力を持っている。その力は信長も警戒するほどで信玄が上洛を決めたことにより義昭も動き出すほどの人物。そしてその噂に違わぬ力を見せ三方原の戦いでは家康を打ち破る
浅井長政(金井浩人)
近江の大名で朝倉義景と共に信長と戦っていた。元々は信長の妹であるお市を娶っていたことから信長とは良好な関係だったが、信長が朝倉攻めをした際に信長を裏切って朝倉側についた。そして最後は朝倉家と共に滅ぼされてしまった
菊丸(岡村隆史)
徳川家康の部下で忍としてあらゆるところで諜報活動をしている。光秀たちと接することも多いが光秀たちに敵意を向けるような事は無い。また要所要所で光秀に重要な情報くれることもある
織田信忠(井上瑞稀)
織田信長の嫡男で信長から家督を受け継ぐ。そして信長の代わりに京へ行き朝廷で政に参加するなど信長の期待に沿った行動をしっかりこなしている
松永久秀(吉田鋼太郎)
明智光秀とずっと親しい関係を保ち、またお互いに信頼して協力し合う関係を続けていた。そんな中久秀はどうしても大和の国が欲しいと願って戦い続けたが信長が大和の国を順慶に任せてしまったため信長を裏切ることとなった。その後戦に敗れて壮絶な最期を遂げる
たま(芦田愛菜)
光秀の娘で細川家に嫁いだ。結婚前は光秀のことを心配して家に残って光秀のためにできることをしようとしていたが思い悩んだ末に嫁ぐことにした。後の細川ガラシャ
お岸(天野菜月)
光秀の娘で荒木村重の子どもに嫁いでいたが村重が信長に造反したため荒木家とは離縁となり光秀の家へ戻る。そしてお岸は志高いため離縁となってしまったことに責任を感じて嘆いていたが光秀は自分の責任だとお岸を慰めた
徳川家康(風間俊介)
三河の大名で信長と共に太平の世のために戦っているが、信長に対して恐怖心を抱きどうしても信長を信用しきれずにいる。そんな中光秀のことは信頼し頼っていて、信長が家康への宴会を開催する際には光秀に宴会の取り仕切りを依頼する
織田信長(染谷将太)
太平の世を夢見て光秀と二人三脚で戦い続けたが、最後に自分の周りについてこられる人物が誰もいなくなってしまう。そして最も信頼していた光秀に裏切られ、本能寺の燃え盛る炎の中で最後を迎える
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