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麒麟がくる/第30話【朝倉義景を討て】あらすじと感想(ネタバレあり)大河ドラマ/2020年

f:id:a-map:20201230113134j:plain引用:NHK

前回のあらすじ

1569年、足利義昭の御所である二条城の築城が着々と進んでいた。そんな中光秀は腐りきっている幕府の内部を危惧していた。


その後信長は二条城を築城すると、更に帝の御所の塀を修理して美濃へ帰る。

 

前回のあらすじ【第29話 摂津晴門の計略】

 

 

麒麟がくる/第30話【朝倉義景を討て】あらすじ

f:id:a-map:20210113190139j:plain引用:NHK

 

1569年、光秀は美濃の岐阜城へ行き信長と面会する。そして信長は光秀に義景との戦はこのままでは織田家だけで戦うことになるかもしれないがそれではとても義景とは戦えないだろうと悩みを打ち明ける。それに対して光秀は帝の勅命などがあれば義景を攻めることに対して諸大名も納得するだろうと告げる。それを聞いた信長は嬉しそうにするが帝が自分と会ってくれるのかと光秀に尋ねる。それを聞いた光秀は帝の御所の塀を直した信長であれば帝も会ってくれる可能性があるのではないかと返答する。


その後光秀は信長が城に呼んでくれていた熙子たち家族と再会する。そして光秀たち家族は久しぶりの再会を喜んで話を弾ませるが、そんな中熙子が自分たちも一緒に京に行きたいと告げる。それに対して光秀は頷き熙子たちを京へ呼び寄せることにする。


その後1570年、上洛した信長は帝に拝謁した。信長は本来帝に会える身分ではなかったが、帝は信長を破格の扱いをしたのであった。その後信長は光秀に会うと帝から都や畿内を平定するためなのであれば戦もやむを得ないとの勅命を受けたと告げる。


その後光秀は京で義昭たちに会っていた。そして光秀は信長から帝からの勅命である今回の戦に幕府も総出で参加してもらうと伝言があったと告げる。それに対して義昭たちは参陣を断る。そしてその話の中で光秀は義昭上洛の際に義景の嫡男が死んだときのことは三渕藤英の仕業だったことを知る。


その後信長は諸大名を集めて義景のいる越前を目指す戦を開始する。

 

麒麟がくる/第30話【朝倉義景を討て】感想

f:id:a-map:20210113190145j:plain引用:NHK

 

さて今回ですがついに信長が義景との戦をするための準備を整えたという話になっていましたね。


そしてまずは義昭ですが、義昭はちょっと乱世の将軍には向いていない人物に感じました。義昭の弱い人を救いたいという志は素晴らしいんですがこの状況の中ホタルを楽しんでいるというのはちょっと状況が読めていないのかなと思いました。ただこういうところが義昭の長所でもあるのかなと思うと判断が難しいところなのかもしれないですね。そして義昭は帝からの勅命である戦を拒否しましたがこれは驚きましたね。これを断ってしまうと後に響いてしまうのは想像できますし今回のことによって義昭と信長の間にも軋轢が生まれてしまう可能性が出てきました。


そして今回の信長の朝倉攻めですが、出陣前の信長は相当迷っているようでしたね。確かに賛成派と反対派が分かれていてどちらかというと反対派の方が多いとなれば迷うのも無理はないですよね。そもそも戦はみんなしたくないのでそうなってしまうのは仕方がないところだなと思います。そんな中困っている信長に光秀が帝の勅命とあらばみんながついてくるだろうということを示唆したのはさすがだなと思いました。これは真理をついていますよね。つまり何事もトップが決めたというところが重要で将軍がダメならそこよりも上、帝の勅命があれば納得する諸大名も出てくるということでしょう。そして信長が見事帝の勅命を受けることができましたね。


そういえば東庵が帝と囲碁をしていましたが東庵で帝にまで顔が効くんですね。ある意味この物語の中で1番顔が広いのは東庵じゃないかななんて思いました。


さて今回は信長が帝からの勅命という大義名分を得て諸大名を集めることに成功しました。しかしその中には幕府はいませんでした。さて今後この戦がどのように進んでいくのか、義景まで信長の攻撃が届くのかというところが見所になっていくと思います。では引き続き先を見ていきたいと思います。

 

おまけ

f:id:a-map:20210113190150j:plain引用:NHK 

 

ドラマが終わった後に流れるおまけパートについてです。

 

★30話のおまけパート

今回は妙覚寺(京都府京都市)についてでした。

 

国宝、洛中洛外図屏風は足利義輝が狩野永徳に書かせたと言われています。そこには金閣や清水寺など今も残る名所や当時の人たちの営みが記されています。


そして御所の近くには織田信長が度々宿泊した妙覚寺が記されています。二条殿に隣接されていた妙覚寺は両替町通り沿いにあったといい、今は街の名前がその名残を留めています。


そして妙覚寺は豊臣秀吉によって現在の場所に移されました。日蓮宗である妙覚寺は美濃の斎藤家や道三とも縁があったことから信長はここを宿舎に選んだと言われています。


そして信長は妙覚寺を拠点に新たな国作りを目指しました。


交通

妙覚寺

地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」下車、徒歩10分

 

次のストーリー【第31話 逃げよ信長】

 

 

 

主な登場人物

下記の項目画像は[NHK ]からの引用になります


正親町天皇(坂東玉三郎)

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京にいて人々の象徴であり、その立ち位置は将軍である足利義昭よりも上だと認識されている。そのため帝からの勅命ということで信長の元に諸大名が集まることになった。また東庵とは顔なじみで囲碁をする関係


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