引用:長野市
日本100名城の城址スタンプ廻り、観光さんぽの城紹介編になります。ここでは松代城/海津城址公園について紹介しています!(2020年5月時点)
どんなお城?
引用:長野市
【場所】 長野県長野市松代町
【曲輪】 輪郭式
【地形】 平城
【別名】 海津城、貝津城、長野城
【遺構・復元】石垣、土塁、堀など
松代城は武田信玄が山本勘助に命じて築城させた城で、川中島の戦いでは武田氏の拠点となっていました。また武田氏の居城だった際は海津城と呼ばれていましたが、真田氏の居城時代に松代城へと名前が変わっていきました。
そんな松代城は背後の千曲川がたびたび洪水を起こし何度も修復が必要でした。更に城内での火災も多く本丸・二の丸・三の丸が焼失したこともありました。そのため藩主の政務など、城の中心地は次第に本丸から花の丸御殿へと移っていきました。
その後1872年に廃城になると城は取り壊されましたが、現在は二の丸、太鼓門、堀を含めた様々な建築物が整備・復元等により再現され江戸時代の姿に近い状態で見ることができます。また海津城址公園として多くの人が訪れるスポットとなっています。
基本情報
引用:長野市
武田氏・真田氏の居城(日本100名城、26番)
武田信玄が山本勘助に命じて築城させた
武田氏
田丸氏
森氏
真田氏
城主について
引用:長野市
真田信之(長寿の知将)
生まれ 1566年
死没 1658年10月17日
真田信之は1566年に真田昌幸の長男として生まれました。信之の家系である真田氏は名将揃いとしても有名で父親の昌幸、弟の幸村も名将として名高いです。そんな名将一家に生まれた信之は賢弟愚兄といわれることもありますが、数々を立ち周りを見ると知将という評価が当てはまる人物かと思います。
信之は昌幸が武田信玄に従っていたときには武田氏で人質として生活を送り、武田氏滅亡後は徳川家康の人質になっていた時期がありました。
その後第一次上田の合戦が起こります。信之はこの戦で上田城へ攻め入ってきた徳川軍と対峙します。その際信之は支城の砥石城を守っていましたが真田軍は徳川軍に対して圧倒的に兵力で劣っていました。しかし昌幸の策略と信之の陽動、奇襲で徳川軍を撃退しました。この戦いは信之の中でも有名なエピソードであり、また徳川家が真田家に一目を置くようになった戦いでもあります。そのためこの後信之は本多忠勝の娘である小松姫を、徳川家康の養女として妻に迎えて徳川家康の縁者となりました。
その後第二次上田の合戦が起こります。このとき信之の立ち位置は前回と大きく変わっていて徳川軍として上田城へ攻め入ることとなります。更に昌幸と幸村の敵に回ることになりました。一見すると信之としては最悪な状況ですが、真田家としてはどちらが勝っても真田家を残すことができるので悪い展開とも言えない状況だったようです。戦国時代ならではの考え方ですね。結果、信之のいる秀忠率いる徳川軍は上田城を落とすことができず、更に秀忠が家康の息子でありながら関ヶ原に大遅刻する原因になってしまいました。そのため第二次上田の合戦をきっかけに秀忠は真田家を恨むようになったようです。
そして関ヶ原の戦いが終わると信之の父と弟である昌幸達は石田三成率いる西軍に属していたため処刑されそうになります。しかし信之が処刑の取りやめを訴え、更に信之の義父でもある忠勝が昌幸達を処刑するなら家康と戦うと説得すると家康は昌幸達の処遇を九度山への流罪へと変更しました。その後信之は自費で父と弟に仕送りをします。
その後信之は松代藩の初代藩主となり松代城に入り、明治まで続く藩の基礎を作りました。このことから信之は真田家の功労者といえるでしょう。そんな信之は享年93歳と戦国武将としてはとても長寿でしたが、晩年は最後まで落ち着いて隠居することができなかったようです。原因の中には嫡男・嫡孫と先立ってしまったためにお家騒動も起きたこともあり、なんとか三代目の藩主を幸道にしたことでお家騒動が落ち着くと、その後少しして信之は亡くなっています。こうして信之は最後まで時代に翻弄されてしまった感じもありますが、優秀といわれる真田家の中で信之もまた名将の一員だったといえると思います。
見どころとイベント
引用:長野市
ここでは松代城/海津城址公園の観光スポットを紹介していこうと思います。
その中でも太鼓門、橋詰門→北不明門(きたあかずもん)→内堀→土塁と埋門→二の丸南門→本丸をピックアップしています。
歴史や風景などを楽しめるスポットですのでぜひ目を通してみてください。
太鼓門は本丸南側の正面に位置する門で、本丸にあった3ヵ所の櫓門の中で最大規模の門でした。また桝形門の橋詰門は高さ11.8mあり、続塀も再現されています。
北不明門は本丸北側の裏側にある門です。過去に水ノ手御門と呼ばれていたこともありました。自立する櫓門と枡形門と呼ばれる高麗門、続塀が復元されています。
廃城してからは内堀が埋め立てられたため位置が把握できなくなっていました。しかし発掘調査をした後、整備をして内堀の当時の範囲や形状を復元しました。
本丸は石垣に、二の丸は土塁に囲まれていました。また東・南・西の三か所には櫓門と土塁の中にトンネル状に作られた埋門がありました。
二の丸の南側にある門で建物の一部と石垣の修復が行われました。
城の中核である本丸では藩主が生活する御殿があり、国の政治も行われていました。また調査で本丸は数回建て替えられていたことが分かっています。そして本丸の礎石は土で盛って保護してあります。
周辺施設
引用:真田宝物館
松代城/海津城址公園の周辺には人気のスポットもたくさんあります。周辺施設、食事処、宿泊施設などを紹介していきます!
真田宝物館(有料)
真田家由来の武具、調度品、書画、文書などが展示されている博物館です。国の重要文化財「青江の大太刀」をはじめ、武田信玄・豊臣秀吉らの書状など貴重な品々が展示されています。
真田邸(有料)
真田幸教が松代城の城外に建築した御殿で当時は新御殿と呼ばれていました。そして明治以降は真田氏の私宅となりました。庭園から四季を感じられる風景は評判がよく、切り紙や筝の演奏などの体験もできます。
松代藩文武学校跡(有料)
真田幸貫、幸教の二代に渡って計画・建築された松代藩の藩校です。当時はここで東洋・西洋の医学など先進的な教育がされました。現在では映画やドラマのロケ地としてもたびたび利用されています。
旧松代藩鐘楼(無料)
江戸時代に約2時間に一度、時間を知らせる鐘として使われていました。焼失等で復元が繰り返された旧松代藩鐘楼は現在の建物で4代目となっています。
旧松代駅(無料)
旧松代駅は長野電鉄屋代線が廃線となった今も駅舎が残されています。
ぼっち(お蕎麦)
長野駅から徒歩3分の場所にお蕎麦屋さんで、開店前から行列ができる人気店です。有名人も訪れることが多く店内には色紙が飾られています。定番の二八そばだけではなく十割りそばもありますが、十割りそばは数量限定となっています。
とくべえ駅前店(馬刺し)
長野駅から徒歩3分の場所にある郷土料理を楽しめる居酒屋さんです。馬刺しや手作りの特製コロッケが人気で長野の味を楽しむことができます。
信州長屋酒場
長野駅近くにある郷土料理を楽しめる居酒屋さんです。長野特産の食材を使用した郷土料理やとうじ蕎麦を楽しむことができます。
誠心堂(おやき)
長野駅から徒歩3分の場所にあるおやき屋さんです。蒸かして作るふんわりとした食感のおかきにはぎっしりと具が入っていて、お土産として購入する人も多いです。
りんごの木 長野駅前店(アップルパイ)
長野駅近くにあるケーキ屋さんです。特産品ですあるりんごを使用したアップルパイが人気でお土産としても求めやすい一品となっています。
ホテルメトロポリタン長野
長野駅近くにあるホテルで時期により7480円~泊まることができます。モダンヨーロピアンのエッセンスを取り入れた上質な客室では、春夏秋冬の眺望と夜景を眺めながら癒しの時間を過ごすことができます。
天然温泉善光の湯ドーミーイン長野
長野駅近くにあるホテルで時期により6790円~泊まることができます。最上階露天風呂付きで素泊まりプランもあります。
入場料や場所
今回は真田邸前で100名城スタンプを押しました。
1.真田邸前に100名城スタンプが設置されてます。
【料金】 無料
【場所】 長野県長野市松代町松代44
【アクセス】長野駅→川中島バス松代行き松代駅下車、徒歩5分
【電話番号】026-278-2801(真田宝物館)
まとめ
引用:長野市
松代城は武田氏、真田氏に縁があり、川中島の戦いでも知名度がある城のためとても人気があります。そしてこの城は江戸時代の姿に近い状態で見ることができるため歴史を感じることもできます。
また海津城址公園は桜の名所ともなっており桜の季節には満開の桜を見ることができます。そして小高い天守跡からは山を一望することができて景観も楽しめます。
そんな松代城は城の周辺にも真田邸や真田宝物館など見どころが多いです。そのため時間があればぜひ立ち寄ってみたいスポットとなっています。
周辺の城
26.松代城