日本100名城の城址スタンプ廻り、観光さんぽ実体験レポートになります。今回は吉野ヶ里歴史公園に行ってきたので、その際のさんぽあしあとを紹介していきます。尚、今回の城さんぽレポートは下記の計3ページとなっています。
①吉野ヶ里歴史公園.城さんぽ編
②吉野ヶ里歴史公園.周辺さんぽ編
③吉野ヶ里歴史公園おまけ編
ここでは吉野ヶ里歴史公園.城さんぽ編として吉野ヶ里歴史公園址公園内を紹介しています!(2020年11月)
吉野ヶ里歴史公園
今回は宿泊地である福岡からレンタカーで吉野ヶ里歴史公園へ行きました。
道中はとてものどやかな風景で景色を堪能しながら吉野ヶ里歴史公園へ行くことができました。
吉野ヶ里歴史公園は駐車場がありますが有料となっています。
吉野ヶ里歴史公園の看板です。
吉野ヶ里歴史公園は園内はバスが園内を回っているくらいに広いです。
そのため看板を見てどのコースで回るか決めてから園内を回るほうがいいかと思います。
吉野ヶ里歴史公園入口です。駐車場からすぐの場所にあります。
園内が広いだけあって入り口も大きいです。
入り口の建物にはお土産屋さんや食事処がありました。
休憩所や資料館です。
券売機でチケットを買って入場します。
大人は460円でしたが、二日通し券というのが売っていました。
施設を回ってみるとわかりますが、かなり広い施設なのでしっかり回るなら確かに二日は必要かもって思いました!
100名城スタンプです。
券売機の受付に置いてありました。集めている方はお忘れないようお気をつけください。
こちらでチケットを渡して入場します。
吉野ヶ里歴史公園は自然に囲まれています。
この日は天気もよく絶好の散策日和でした。
園内です。
集落を守る木の柵です。
吉野ヶ里歴史公園は日本最大の弥生時代の環壕集落ですが、木の柵と掘りで集落を守っているのを見ると教科書で見た弥生時代の風景だなって思いますね。
逆茂木です。こちらも木の柵同様、集落を守るためのバリケードですね。
オブジェクトがありました。イノシシでしょうか。
集落です。
木の柵より高い建物は物見櫓です。遠目からでもわかるこの集落が感じが弥生時代の集落って感じがしますね。
櫓門です。
こちらで集落に出入りする人を兵士が見守っていたようですね。
櫓門からの景色です。
集落の中がバッチリ見えますね。
集落に入る前に吉野ケ里遺跡展示室があったので中を見学しました。
建物は内には様々な出土品が置かれています。
建物はそんなに広くないので見て回るのにちょうどいい大きさです。
吉野ケ里遺跡歴史公園の歴史についてもありました。
南の内郭
南の内郭である集落の中へ入ります。
こちらは集落の人たちの住まいになります。
入り口には集落の説明が書かれた看板がありました。
物見櫓です。
この櫓は外からも確認することができましたが集落の中で一番高い建物です。
ここから周囲を警戒していたんですね。
物見櫓からも景色です。
ここからも集落内が一望できますね。
この物見櫓があることで遠くからでも集落の位置が把握できます。それは狩りに出た仲間などにとってはメリットになりますが、反対に敵対勢力へは居場所を教えてしまうというデメリットにも繋がってしまいそうだなってふと思いました。
竪穴式住居です。
集落の人たちはこの家に住んでいたんですね。
名前の通り穴式の住居ですね。
広さは三、四畳くらいでしょうか。仕切りのないワンルームタイプですね。
室内には模型が置いてあり当時の人の生活を伺うことができました。
竪穴式住居の外観です。
木で組まれた家に土や藁を載せて作られていますね。
こちらは集落内の市場でしょうか。
竪穴式住居は固まって家が建っていました。
こちらは集落の王の家ですね。
集落一番の権力者ですが、家の広さはそれほど他の住居と変わらないようです。
さすが王の家というだけあって献上品なのか品がとても豊富です。
他の家より飾られている感じはしますね。
王の住まいの周りにも集落はあります。
王は離れというより近くに兵士などを置いて身を守っていたということなんでしょうね。
煮炊屋です。
こちらで食事が作られていたようです。こちらは他の住居とは造りが違って穴式ではないですね。
集会所です。
大きくて広い建物もあったんですね。ここでは集落についての協議や会合が行われていたようです。
集落を出て先へ進みます。
看板が出てきました。
次は北の内郭へ向かいます。
北の内郭
北の内郭です。
当時の命綱であった田植えや稲刈りの時期を決めたり、お祭りや儀礼が行われた場所です。
入り口に北の内郭についての看板がありました。
こちらは木の柵のクオリティーが一気に上がりましたね。
入り口から入ると迷路のように入り組んでいて敵が侵入しずらいようになっています。
集落の中です。
主祭殿です。
ここで集落の重要なまつりごとが行われたようです。
他の建物とは違いかなりクオリティーが高いですね。
当時の姿をできる限り再現しているようですが、機械もない時代にこれだけの物を作ったと思うと凄いですね。
少なくても高さや階層などは当時とほぼ一緒だと思いますが紀元前後くらいの時期にこれだけの物を造れたのは本当に凄いなって思いました。
主殿内でのまつりごとの様子が再現されていました。
三階ではお祈りをしている様子が再現されていました。
こうして稲作の日などを決めていたんですね。
斎堂です。
まつりの時に身を清めたり、まつり道具が置かれている場所です。
竪穴式住居もありました。
高床住居です。
最高司祭者の住宅ですが竪穴式住居とはクオリティーが違いますね。
それだけ最高司祭者が重要人物として扱われていたということがわかります。
物見櫓です。
こちらも集落内を見渡すことができます。
北の内郭を後にします。
甕棺墓列です。
土器で埋葬をしていたようです。
北墳丘墓
北墳丘墓へ向かいます。
祀堂です。
立柱です。
こちらは祖霊の宿る柱として建てられているようです。
北墳丘墓はもう少しですが入り口からここまでかなりの距離があります。
北墳丘墓近くのバス停です。
園内はかなり広いのでこうして所々にバス停があります。
おそらく一日ではしっかり回りきることはできないと思います。
北墳丘墓の外観です。
北墳丘墓です。
この集落の歴代王のお墓となっています。
室内はそこまで広くはありません。
復元されているようです。
映像ブースで歴史や情報を知ることができます。
環境集落ゾーン
北墳丘墓を出て外周を回って吉野ヶ里歴史公園を出ようと思います。
ここまですでに2時間以上は歩いていますがまだまだ全然見て回れる場所はあります。ただ時間に限りがあるので時間と相談しながら回れる範囲で残りを見ていきました。
中のムラです。
北の内郭近くにありますがこちらでは北の内郭で儀礼などが行われる際に使われる道具などが作られていたようです。
イメージ的には工場みたいな場所でしょうかね。
高床倉庫ですね。
こうした倉庫で道具が保管されていたようです。
中のムラの様子と看板です。
こちらは園内訪問者用の休憩所です。
自動販売機などもあって当時の雰囲気を味わいながら休憩することができます。
更に先に進みます。
兵士の詰め所です。
物資があるということはそれだけ物騒なことも起こるでしょうし、やはりそういう意味では兵士の詰め所がないと物資の危険性は増えてしまいますよね。
中のムラを抜けて倉と市へ向かいます。
倉と市です。
南の内郭の西側にあるこの地域には倉が密集しています。
そしてこの場所では市が行われていました。
高床倉庫ですね。
こうした倉庫がいくつもありますがここに集落の物資が保管されていたんでしょうね。
建物が密集しています。
一見すると中のムラと同じようにも見えますが建物が密集している地域が違いますね。
市楼です。
ここで開催されている市を取り仕切っていました。
二階建てで周辺を見渡すことができます。
また太鼓を鳴らすことができましたがせっかくなので太鼓を鳴らしてみました。
ちなみに他の物見櫓などには太鼓はついていませんでした。
更に先に進みます。
南のムラです。
集落の一般市民が住んでいたようです。
吉野ヶ里歴史公園を後にします。
終わりに
ここまでが吉野ヶ里歴史公園城さんぽ編になります。
吉野ヶ里歴史公園は城廻りというよりテーマパークに近かったのと、広くて回りきることができなかったです。また再度行って回っていないところも回ってみたいと思います。
また吉野ヶ里歴史公園は係員さんがみんなとても丁寧で、園内の復興などを見ても施設にとても力を入れているのがよくわかりました。
そうしたこともあり、また是非行ってみたいと思える場所でした。
そして今回は吉野ヶ里歴史公園と合わせて長崎街道や道の駅吉野ケ里なども見てきたので、その際のレポートを周辺さんぽ編に載せています。よろしければ周辺さんぽ編も合わせて目を通してみてください!
吉野ヶ里歴史公園さんぽレポート
①吉野ヶ里歴史公園.城さんぽ編
②吉野ヶ里歴史公園.周辺さんぽ編
③吉野ヶ里歴史公園おまけ編
吉野ヶ里歴史公園紹介レポート